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京町家再生研究会

京極さんを偲ぶ

  2018 年 12 月例会「京極さんを偲ぶ会」にはゆかりのある会員が本部小島家に集まった。「みんなでワインパーティがしたい」とおっしゃっていた京極さんが小島さんに渡された1ダースのワイングラスで献杯。その後は京極さんに倣って言いたいことを思う存分語り合ったこの議論を整理しつつ、「京町家通信」に掲載された遺稿から京極さんのなされたことを振り返りたい。
 第一に組織とネットワークづくりである。京極さんは、新しい試みや京都市など行政と連携した取り組みについては、「わたしは反対です」とおっしゃることが多かった。京町家作事組設立のきっかけになった市政 100 周年記念イベントの参加も、当初は「京都市とやるなんて」と否定的だったように記憶している。ところが職人さんのお話や展示などの企画が好評で、せっかくできたつながりを形にしようと「京町家作事組」を立ち上げることになった。住民と支え合うことが必要ということで「京町家友の会」とセットで結成したり、NPO として稼げない再生研の代わりに、稼げる組織として工夫したり、京極さんらしい戦略が盛り込まれている。その後、「京町家情報センター」の立ち上げで不動産屋さんの組織化をはかり、「4会の有機的な連携」が提唱された。このモデルが当時はとても画期的で有効だった(*3)。その仕組みを全国に周知する方法として、全国町並み保存連盟に加盟し、ネットワークを全国に向けて広げようとしたことも京極さんの作戦だった(*1)。
 第二に全国町家再生交流会の開催である。市街地にある町家に特化した問題を語り合う機会として京都に全国各地のまちづくり関係者が集まった。最初は一回きりのつもりだったが、課題が残っているということで、隔年開催となり、その後 2018 年の倉敷大会まで 7 回開催された(*2)。
 第三に出版社経営者という立場から冊子の編集や刊行に尽力されたことがあげられる。会社のみなさんがご協力してくださったこともあった。「京町家通信」は再生研発足当初、変形版で年に一度発行していたが、京極さんの発案で、隔月発行のニュースレター形式になった。ボリュームも順次増えてきた。次々と変化する社会情勢のもと、一つずつ積み上げてきた改修事例を報告するにはよい媒体となった。
 このような活動の成果により、町家再生や改修が一般にも認知されるようになったが、京町家新条例が施行されても取り壊しは続いていることから、一般社会に浸透しているとは言えない。だが、関わる人や組織、機関も増え、町家改修や再生事例も多様化してきた。京極さんの戦略が当たったことで、町家改修が普通の仕事になってしまい、再生研が追求している「ちゃんとした再生」に必要な理念が希薄になってきている。「理念の共有により兄弟組織が有機的に動く」よりも、仕事が目的となりつつある現状にもつながっている。この状況を整理することなく、京極さんは逝ってしまわれた。これからは、4つの会だけで連携を強化することよりも、プロジェクトの内容によって、よりひろいネットワーク、さまざまな組織との協働が必要となってくるだろう。この「京町家通信」もそのような時勢に鑑み、これまでの形式として発行するのは最後となる。毎年もっときちんとした活動報告をまとめ、事例の紹介やニュースなどは、ソーシャルネットワークを含めた情報発信へのシフトを検討している。
 大谷孝彦さんと仲良くワインを飲み交わしている京極さんにもこの議論が届いているだろうか。病気がちになられてからなかなか次の構想を聞く機会がなかったのが残念だが、そのうち再生研始末記を語り合うメンバーも順次そちらへ行くだろう。そのときどんなお土産話ができるだろうか。


<丹羽結花(京町家再生研究会)>

2019.3.1