• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家友の会


旧暦で春を待つ
丹羽 結花(京町家再生研究会 事務局)

 都市居住を年中行事からみてみよう、というテーマで町家住民の話を聞き始めたのが二十数年前。再生研が設立されて数年後のこと、まだまだ町家の暮らしは特別なもの、窮屈で伝統的なイメージが強く、一般的には認知されていなかった。町家の中身、暮らしの本質を知りたい、という素朴な疑問から始め、とっかかりとしてご紹介いただいたのが小島家だった。行事の折々、お伺いして参与観察をおこないながら、今は亡き小島正子さんからたくさんのお話を伺った。その後も多くの方々にお話を伺う機会を得、光や風の変化を感じながら暮らしている方々と豊かな時間、それまで過ごした長い時間を共有することができた。

  私は北摂で長く育ってきたが、やはり京都はずいぶんと違うところだった。なかでも驚いたのは、2月の節分がきわめて重要な行事であること、そしておひなさまは旧暦で祝う、ということだった。異なる暦が生活のなかに浸透していること、町家が特別なものではなく、自然の変化を楽しみながら暮らすことが当たり前のことなのだと感じた。
  
 節分とは言わず「お年越し」という言い方があることも知った。お正月とは異なる大切な節目なのだ。立春を迎える神妙な心持ちが窺える。「鬼は外!」と有名人が寺社で豆まきをする程度の感覚だったのだが(ちなみに阪急沿線ではタカラジェンヌが豆をまくお寺がある)、むしろ厄払いとして、星祭という名前で年回りと深く関わっていることも知った。
 
 巻き寿司を食べる習慣が関西で広まり(私が幼い頃にはない習慣だった)、恵方という言葉は知っていたが、行事と連関していただけで、その重要性をあまりわかっていなかった。かつては町家に普通にあったらしい歳徳さんを説明する時、わざわざ恵方巻に言及するという方もあった。本当は逆で、新しい時が訪れる方角が年越しのなかで強く認識されているのだった。
 
 以来、私は初詣よりも厳粛な気持ちで年越しを迎えるためにお参りするようになった。早めに帰宅し、寒い夜道を歩いていく。お寺の周辺だけが賑やかになり、ホッとしながら、門前で焙烙を求め、用意されている筆で、家内安全とか無病息災とか書き、自分や家族の年齢を書く。これらは壬生狂言の焙烙割りでガラガラと音を立てて厄をはらってくれるのだ。新しい年のために清められる感覚。お参りをすませると憑き物が落ちたようにさっぱりとした気分になる。さあ今年もがんばろうと思う。
 
 「お化け」という習慣も興味深い。昨今のハロウィンなどに倣う必要などなく、古い年を忘れる行事としてこれこそとりいれればよいのに、と思う。
 この頃、確かに雪が降る。吉田神社の参道が雪で埋まるなか、試験の時間をめがけて走ったこともあった。中学受験の日も雪が舞っていた。そしておひなさまの頃も大学入試の日程と重なり、私の気持ちの中では節分と同じくらい雪の思い出になっている。受験室の換気扇がバタバタとうるさいので、ふと窓を見ると数十メートルしか離れていないはずの時計台が雪で見えない。合格したら恐ろしく寒いところで学ぶのだ、と集中力がぷっつり切れた自分に愕然としたが、この光景は鮮明に残っている。
 
 だから旧暦でおひなさまをお祝いするというのは、暖かく明るくなった家で祝うという、きわめて合理的なことなのだ。古いしきたりを守るのではない。理にかなっているから続けられている。年中行事が面倒なきまりごとではなく、ごく自然に先人が積み重ねて来た知恵であることがよくわかる。華やかな女の子のお節句、せめて明るい気持ちで祝いたい、そんな優しい家族の思いも感じられる。
 
 町家の庭には花の咲くものが少ない、とも聞いた。春を告げるさまざまな花は、座敷からは直接見えないところに植えられている。花壇の花も人目につかないところで暖かくなるのを待っている。多くの人の目には触れないけれども住み手にとってとても大切な明るく開けた空間が町家の奥にある。そのことをうれしそうに語ってくださった小島正子さんの笑顔が忘れられない。
 
 今年の冬のように雪が多いと、春を待つ気持ちが一層強いことだろう。町家を取り囲む建物がどんどん変わり、このような明るさを味わう空間が変わっている。歳時記とともにある生活を私たちがもっと身近に感じていけば、目先の利益を追った建て替えや効率優先の建てつまりにはならないと思うのだが。このところ、再び節季に着目した読み物が増えている。行事や食べ物だけで伝統をつないでいっても、それらを包み込む空間がなければ、単なるしきたりや知識になってしまうだけだろう。いつまでも自然をとりこむ都市であることを願いつつ、今年も静かに春を待つ。
(2017.3.1)
過去の『歳時記』