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京町家友の会


七五三

書初め雑感 中川 冨美代(京町家友の会会員)

 「書初めやかかる楽しきことなくて」鬼城
 かつての書の師が、正月近くになると決まってこの句をお手本に書いてくださった。師の端整な書風を一生懸命お稽古したものだ。子供のころの書初めといえば、半紙ではなく、八つ切と言われる長さ65センチほどの紙に大抵四字か五字の初春に相応しい語句を書いたものだ。それを学校に持って行き、皆一同に教室に並べ、その後小正月になると左義長(どんど焼き)をして字の上達を祈ると言う行事が行われていた。娘の時代でもやっていたからこの行事は連綿と続いてきていることになる。
 もともと書初めとは正月二日に吉方に向かっておめでたい意味の詩歌などを書くこととされてきた。吉書、筆始めなど呼び方は色々で、平安の御世に始まり江戸時代寺子屋の普及で大衆化したということだ。
 「書初めや五六枚目を初めとし」白羽
 京都では先日「第二回全国町家再生交流会」の行われた上七軒のすぐそばにある北野天満宮で、こども書初め大会が今も盛んに行われている。書いている子供も一生懸命だが、その傍らで先生さながらに必死になっている親たちの表情も恒例の微笑ましい光景である。関東在住の方には明治神宮で毎年一月に展示される全国の子供たちの書初め作品も一度見ていただきたい。なかなかの力作揃いでその書きぶりには素晴らしいものがある。一見の価値ありだ。 
  お習字を始めてからしばらくすると 大きな文字のほかに小さい仮名文字を教えてもらうようになったが、師もご自分のお気に入りの俳句や歌を手本の題材にされることが多く、繰り返すと自然に覚えたものだ。
 お正月といえば、
  「元朝や見るものにせむ富士の山」宗鑑
  「めでたさも中位なりおらが春」一茶
 また啄木の歌で「何となく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風なし」。これなんぞは自分勝手な解釈で「今年はいい年。気持ちいい〜」と思い込んで喜んで書いていたものである。思えば本当に沢山の俳句や和歌短歌を、書くことを通して教わった。
  「書初めやおさな覚えの万葉歌」竹下しづの女
 子供時代のお習字の体験は成人してから「もう一度筆で書いてみよう」という切っ掛けにもなる。あのころ上手くできなかったけど、嫌いではなかったし……のような気持ちがどこかに存在しているに違いない。教室の門を叩かれる人たちはきまって仰る。「小学校で習った以外一回も筆持ってしませんねん」。大いに結構。小学校時代とはまた違った新鮮な感覚で始められるに違いない。題材として俳句、和歌、短歌などを書くことでおのずとその世界を少しは垣間見ることもできる。
 和歌の中では百人一首を書くことが多いが、普通の平仮名が上手く書けてくるとだんだんに変体仮名と呼ばれる現在では使われていない優美な仮名を教わることになる。我々現代人にとっては全く外国語を学ぶが如しのように一から覚えるしかないのである。もっと小さいころに百人一首を暗記していたらよかったとつくづく思うのだ。初春といえば、
 「君がため春の野にいでて若菜つむ
      わが衣手に雪はふりつつ」光孝天皇
 筆書きが日常生活で使われた時代はつい百年ほど前までであっただろうか。たまたま我が家に町内のご祝儀に関する事柄などを記録した「町式出物帳」という大判の綴じ本がある。表紙には安政四年正月吉日とあり中は「覚」の書き出しで始まり、婚礼祝儀、養子祝儀など細かい記録が綴られている。見ているだけでもなかなか面白いが、とりわけ感じるのは何と達筆なこと!昔、町内の記録当番の男性に至っては皆これ位普通にさらさらと書けたのだろう。たった百年ばかり前のことなのに隔世の感がする。
 さて、書初めに戻ることにしよう。私はと言えば、まずは
  「あらたまの息吹きかけて初硯」黄雨
 そして、いつかは冒頭の名句のような心境に至りたいものである。まだまだ道遠し……。

(2008.1.1)
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