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京町家友の会



お正月 「神さんごと」のこと 秦めぐみ(再生研究会会員)

 お正月を迎えた朝、わが家は神様の住まいになったよう。冷たく張り詰めた空気が、いっそうのことその清々しさを引き立てて、そこには、新たな年を迎えるにふさわしい凛とした家の姿がある。
 正月支度のなかでも神さんごとは、本来、男の人が取り仕切るものとされている。走りもとに立つ母がこしらえる煮しめの出来具合を横目で見つつ、年越し蕎麦を酒の肴に「明日の屠蘇の味見や」などと言ってはちょっと一杯。それから、おもむろに取り掛かる父だった。普段、家の雑事などに手を出す人ではなかったが、大晦日、このときは違っていた。御神酒の用意をし、油つきに菜種油を入れて長い灯芯を寸法に合わせて鋏で切っては一本ずつ並べ、注連縄に裏白、ゆずり葉を水引きで括りつける。仏壇を入れると全部で7箇所、供え餅の形や灯芯の本数もそれぞれ少しずつ違っており、全て整えるのには時間を要するのだけれど、「おい、そこ、持っとけ」「おい、あれ、持って来い」と、子供や番頭さんを引き連れて、細々とした作業を結構楽しんでいるようにも見えた。

 大黒さん、三宝さん、巳さん、三十番神さん、神の棚の氏神さん、歳徳さん、そして仏さん、それぞれに込める願いは異なっている。商売繁盛、火の用心、身体健全、家内安全、子孫繁栄。神さん、仏さん、今年も一年どうぞよろしゅうお願いします。パン!パン! とは、あまりにあっさりしすぎて、都合良すぎるのではないかとも思うけれど、そこがまた面白く、興味深い日本の民間信仰の世界でもある。父が神さんごとの準備をどこか楽しげにやっていたのも、たぶんそのあたりに関心を示してのことではなかったか。
 供え餅ひとつを取り上げてみても、その形について説明できないものがほとんどである。床の間の鏡餅は、楕円形の三段重ねで、その真ん中は粟餅。歳徳神には直径三センチほどの大きさにまるめた餅十二個を柔らかいうちにくっつけて、三列四段の長方形に仕上げるのだが、子供の頃に、「なんで、そんな形やの?」と尋ねても、「昔から、そう決まってんのや」と、あいまいな答えが返ってきて、以来、わからないままである。けれど今は、むしろそんな謎めいた部分が魅力なのだと思って得心している。
 お正月にだけ神棚から出してくる歳徳さんも、この神様の存在自体が不思議だった。恵方棚という天井から吊り下がった棚に祀るという独特のスタイルで、暦を見て、宙吊りになった不安定な棚をその年の恵方に向けているのを眺めながら、「なんで、そんなことするのん?」と尋ねてみた。『恵方』は、歳徳神のいる方角を指していて、歳徳さんは福徳を連れて来てくれるさかいに、この棚にお迎えするのや。と、そこまでは聞いているが・・。

 これが京都ならではの慣わしなのか、どうなのだろうか。調べてみてわかったことは、歳徳神は毎年お正月に家々を訪れるとされている来訪神『年神』と同じ神様を意味しているとのこと。呼び名も、お正月様、恵方神、大歳神、年殿(としどん)、年爺さんなどさまざまあって、日本各地で親しまれている神様だったのである。
 歳徳神という呼び方は、中世ごろから都市部で呼ばれるようになったもので、徳は得にも通じ縁起が良いとされたから・・という解説のくだりを続けて読んで、歳徳さんが京都だけのものではなかったことが、ようやっと私の中で判然としたのと同時に、『年神』と言えば、五穀の守護神、田の神様。そこには、大地、自然への畏敬の念が窺えるけれど、商家にお迎えする歳徳さんへの願いの中には算盤が見え隠れしているのか・・と、ひとりで苦笑い。しかしお陰で、わが家の神さんごとにさらに親しみを感じることができた。足元を見つめなおすことは、身近にある大事なものに気づくことに繋がっている。

 元旦、小さな炎が揺れる神棚からは、まるで神さんがこちらを見下ろしておられるようだ。明けましておめでとうさんです。どうぞ、今年もよろしゅうに。
(2007.1.1)
過去の『歳時記』