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京町家友の会


町家の住人 伏原 納知子(京町家友の会会員)

 昨年11月より再び町家の住人となりました。私は京都の町家に生まれ育ちましたが、子どもの頃は「京町家」などと言う自覚はなく、「暗い」「寒い」「古い」が嫌で仕方ありませんでした。小学生の頃、テレビドラマではキッチンでテーブルと椅子で食事をする家庭が現れ、皆それに憧れた時代でした。走り庭のだいどこも寒く、家の中にキッチンを作るのが夢でした。町家の特性がどんどん価値を失って行き、どこの家でも中途半端な改装をして「町家」を覆い隠そうとしていた時代の様に思います。私の家でもベニヤの化粧合板で部屋を覆って洋風の応接間を作り、走り庭に床を建て増して憧れのキッチンを作りました。
 しかし、新しく建てられた友達の家に行ってみると、大きな窓から日の光が差し込み、明るく暖かい家でトイレも家の中にある。それに比べると町家はいくら改装しても、寒くて暗くて古い家でした。
 23年前に表の部分を画廊として改装しましたが、この頃も町家の値打ちは低く、なるべく家の個性が出ない空間を作ろうと、クロス張りの壁を作り建具も覆ってしまいました。その後、結婚し住居は別の場所に移ったので、画廊には通う状態でしたが、昨年私の母と同居するため家族で生家に戻って来ることになりました。数年前、京町家作事組の手ですっかり昔の姿に戻っていた「だいどこ」を新たに画廊にし、今まで画廊だった表の部分を住居に改装しました。こちらも建具を覆った壁を取り払い、風の通る家に戻りました。
 こうして再び町家の住人になり、より昔の姿に近づいた家に住んでみると、今まで負に見えていたものにも違った見方が出来、再発見することが多くありました。家の中を風が通るというのが大変気持ちのいいものであると改めて気づき、中庭と通り庭の役割に感心しました。表から裏まで風が通るからこそ夏の葦戸も活きてくるし、木造の家に湿気を溜めないというのも重要なことなのでしょう。風通しがよいのは冬の寒さにもつながるのでしょうが、火鉢が意外に暖かいことにも気が付きました。陶の火鉢だと火鉢自体が熱くなり周りの空気を温めてくれます。また掌をかざして暖めると身体も温まるのです。庭に転がっていた火鉢に灰を入れ、再び生き返ってもらいました。
 明治生まれの叔母に聞くと、寒い寒いと思っていただいどこもおくどさんを使っていた頃は暖かかったのだそうです。おくどさんには一日火が入っているので、それ自体が暖房になっていたのでしょうか。開業医をしていた表の間には中国製の大きな陶の火鉢に炭が山盛りにされていて、大変暖かだったとも聞きました。当時は家で働く人も沢山いて、暗くも寒くもなかったのかもしれません。
 私は町家の不遇の時代に育ったのかもしれませんが、今再び住人になって建てられた時の工夫や良さに出会い、愛着を持って家に接しられるようになった気がします。町家は職住一体と言われますが、毎日の暮らしがあってこそいろいろな事が見えて来て、家が生かされて行くのではないでしょうか。
 町家がブームになり、店舗として盛んに利用されていますが、長年培われて来た特性を無視した利用だけで、暮らしの中で愛されることがないのは非常に悲しいことです。一方でまた、新たに町家で生活を始めようとする方が増えて来たのは嬉しいことです。新しい住人の創意工夫で、夏の過ごし方、冬の過ごし方が生まれてくるのが楽しみです。
(2005.11.1)
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