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京町家友の会


謡講(うたいこう)──京の町家でうたいを楽しむ 松村 篤之介(友の会会長)

 過日、拙宅の座敷で「謡講」が催されました。京観世流井上祐久氏が中心になって数年前から続けておられるものです。謡の出演は井上氏始め四氏の方々、参会は五十名ほどが集まりました。先ず本日のさわりのお話があり、続いて本番「謡講」が始まりました。
  四氏は一室に入り戸障子を立てかけて姿は見えません。聴くほうは二本の蝋燭建ての明かりだけで他はすべて消してしまいます。夕方から始まりましたので少々明るさが残っていましたが、わざと雨戸を閉めて暗くしました。静かに謡のしらべを聴きながら、そこにうたわれている情景や主人公の所作、人物の会話を思いその流れに浸るのです。声だけで能の世界を描くのです。
  現在は、能舞台で多くの聴衆の面前で謡う形が主流となっていますが、古来京都では「京観世」という独特の謡い方が生まれ、座敷に聴衆を集めて催す謡の会が盛んに行われていました。これを「謡講」と称し、前述の通り謡い手が障子や御簾の内で謡うという独特の形式で演じられ、聴覚のみに訴える謡で曲の大意を頭に浮かべることをたしなんできました。
  謡講では、能舞台で謡われる謡声よりも幾分抑えて低い音、声を小さくして謡われます。能舞台では場所が開放的な上に聴衆が奥の方までいますから、声高に大きい声で謡わなければなりません。このことに比較して極力静かに謡われるのが謡講なのです。
  最近謡人口が減ることに危機感を持たれた井上氏等の方々が、昔からの「謡講」を復活しながら何とか謡の普及に努めたいと、かかる催しを続けておられるのです。
  さて、曲が進行し物語のクライマックスを経て終わりに近づきそして一曲が終わります。謡の最後の一語が終わると、聴いていた一同は「よっ!」と声をかけます。思わず揃って声に出します。抑えた低い声で「よっ!」と言います。決して拍手は致しません。「よっ!」と声に出す意味は、昔からよく判っていないようですが、恐らく「良かったですよ!」「よくやりましたね!」など万感込めて一声「よっ!」というのだと思います。
  そもそも昔は町の旦那衆のみならず庶民までが、一日仕事を終えてから最寄の町家に集まり、謡のお稽古や、聴く会を催していました。従って時には深夜に及ぶことがありました。その時に「拍手」はご近所迷惑である訳です。出来ない「拍手」の代わりをどうするか? 先人は低い声で「よっ!」と声をかけたのです。昔の人達の何という心遣い、気働き! これにはホトホト感心致します。かくて一曲、二曲と終わり一同は満ち足りた気持ちに浸りながら散会致します。これこそ謡曲の醍醐味、「謡講」ではないかと思います。
  常々私は謡本を手にとって読むときに、日本語の美しさ、豊かさに感じ入っています。鎌倉時代から南北朝を経て室町時代に入った時、世に観阿弥、世阿弥が出てきて「能楽」の始祖となり、十四世紀後半には時の幕府から認められるまでになりました。以来「能楽」が世の中の唯一のエンターテイメントとして広まり、一般民衆までが「謡」の一節を口ずさむまでになりました。
  謡の一節々々は多くは「七五調」になっています。大昔、中国から文字が入って来るまでは、わが国には口伝(くでん)しかありませんでした。口伝、口で伝えるには口調のよい「七五調」が最適であったわけです。「七五調」は暗記しやすいことは勿論です。謡本もこうした名調子が随所にあるものですから、時の人達は本を見なくても一節々々が口から調子よく次から次へと出て来るのです。庶民の楽しみは、現在のカラオケ並みに謡をうなることだったに違いありません。そして耳から聴くだけで物語の登場人物、そのからみ、流れが生き生きと思い描くことが出来たのです。この「謡講」のような聴き方で問題なくよく理解出来たのだと思います。
  町家での住まいの仕方の一つにこうした「謡講」の催しをご紹介して、機会がありましたならばご参加をお勧めしておきます。京都が育んだ文化の一つ「謡講」が長く続かんことを望んで止みません。
(2005.9.1)
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