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耳をすませば六角さんからの除夜の鐘がかすかに聞こえる。108つの煩悩とは言うものの、たくさんの善男善女のお参りにこたえるにはもっと現代の煩悩もふやさんと数が足らんのと違うやろかと夢うつつ。目が覚めると元旦。 熱心な東本願寺の門徒であった祖父からの慣わしどおり「正信偈」を家族でお勤めすることから私の家の新年は始まる。神棚、荒神さんを拝み、結び昆布と小梅のお祝いのお茶を手にするときには、家族の挨拶も一巡している。大晦日に準備しておいたお屠蘇を祝い、数の子、ごまめ、黒豆の祝い肴をいただき、ようやく一息といったことが毎年の元旦の朝である。のんびりとお煮しめの出来を品定めしながら、お雑煮を祝う。三が日は同じような朝を過ごすが、2日からはそれぞれのお年始や初詣に出かける。普段じっとしていることが少ないせいか、2日目にもなるとそわそわ、せっかくのんびりと出来るのにもったいないことである。 ![]() ![]() |
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![]() 元旦、私の悩みは年賀状である。母は周到に師走に入る頃には準備を始め、余裕であるが、私は…。お雑煮を祝う頃、玄関に物音がするとお年賀状が届いている。あの方、この方と頂くのは大変うれしいのであるが、一枚も書いていない身にとっては落ち着きが悪くなっていく。今年もこのようにしてぎりぎりばたばたの一年になるのかなあ、と少々不安がよぎる。元旦早々夜中に年賀状を書くことからが私の新年かもしれないと。来年こそはと一年の計は…である。 ![]() 一月は半分をお正月で過ごすため、あっという間に過ぎてしまう。4日のあつめ雑煮、お供えのお雑煮や三が日の残りを集めて4日に頂くのであるが、お餅もとろけて、おつゆかお餅かわからないぐらいどろどろしている。私は小さい頃からこのお雑煮が大好きでよく話をするのであるが、あまり一般的ではないらしく「あつめ雑煮」と言うと???と首を傾げられることが多い。7日は七草、♪七種なずな 唐土の鳥が 日本の土地へ 渡らんさきに 七種なずな♪ とはやしたてながらとんとんがちゃがちゃまな板にのせた七草をきざむ。15日は小豆粥、お正月の祝い箸もこのお粥を限りに役目を終える。不思議なことにお箸が普段のものに戻るとなんだかやれやれと思ってしまう。冬はこれからである。 (京町家友の会事務局長)
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