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京町家友の会


「お月見」のはなし 山田 公子

 本当は、「お月見」をテーマにして、京都の町家の暮らしぶりをどなたかに書いていただこうと考えていました。ところが、何人かの町家暮らしの方にお伺いしたところ、異口同音に「うちでは、『お月見』せえへんにゃわ」とのお答え。実は、うちの家でもいわゆる「お月見」というものをした覚えはないのです。お花のお稽古をしている頃には、ススキやら女郎花やらが花材にあると、せっかくやし「お月見」みたいな飾り方をしようと、縁側に置いた花瓶に投げ入れをしてみたり、近所のお饅頭屋さんが 「月見だんご」といって注文をとりに来る、お餅にこしあんが巻いてあって松茸みたいな形になってるものを毎年食べてた記憶はあるのですけれど。でも、何であれが「月見だんご」というのか、未だにようわからへんのです。おそらく「中秋の名月」は、旧暦だと本来十月の中頃にあたるので、ちょうど松茸の時季と重なるしやろか、などと勝手な解釈をしているのですが。

 なぜ京都の町家では、あんまり「お月見」をしやはらへんのか、改めて考えてみると、大店の広いお庭のある町家は別として、京都の町家は東西か南北かに細長い「うなぎの寝床」の家がおおかたで、その真ん中あたりにお庭があっても、「中秋の名月」といわれる、ちょうどその日の夜に、そこのおうちの縁側からお月さんがきれいに見えるとは限らへんしと違うかなあ・・・・? このことを主人に話すと、『「お月見」というものは、もともと御所か御所の周辺に住むようなお公家さんの風習だからじゃないの?』と言われました。そう言われると確かにそうかもしれません。

 京都の町では、たとえ家の中からお月さんが見えへんかっても、一歩表に出たら、ものすごくよく見える場合が多いと思います。家の前の通りに出ても見えへんかったら、今度はちょっと走って横の辻に出たら、必ず見えるのと違いますやろか。どこかの帰り、夜道を歩いていると、大体いつでも「ほら、お月さんが付いて来やはるわ」と、誰かが言い、いつものことやのに「いや、ほんまやなあ」などと答えて、四つ角を曲がったりした時には、お月さんがちゃんと付いて来てくれたはるか確認して、わざと早く歩いたり走ったりしても、どこまででも付いて来てくりゃはるのが、妙にうれしかったりするものです。

 私がちょうど小学校の一年生の時、父が初めて車を買った年の秋のある夜、父は私をその車に乗せて、どこなのか全然わからへんけれど、私の背より高いススキがいっぱい生えてて、見上げたら一面が真っ黒い空で、そこには真ん丸のきれいなお月さんが浮かんでて、地上に目を移したら上等そうなカメラや三脚を持ったおじさんがうようよといやはる所に連れてくれました。その時の景色は、ずっと私の目に焼きついていて、「お月見」というと、そのススキの原が浮かびます。四年前の秋、父が亡くなる少し前、「あの時連れて行ってくれたんはどこ?」と尋ねました。答えはすぐに返ってきて、それは嵯峨野の広沢の池でしたが、ほとんど40年近くも前のこと、私もよう覚えてるけど、父もよう覚えててくれたと思います。

 東京での結婚してからのマンション暮らしは、南東の角部屋で、東側がテニスコート、南側が駐車場ということで、ベランダからは一面が空でした。部屋にいながらにして毎日のように東の空の出たばかりの月の大きさに驚き、段々高くのぼっていくと今度は南のベランダに出て月の光の煌々とした明るさに感激していました。毎夜毎夜、主人と二人、形の変わっていく「お月見」を愉しんでいましたが、私たちが京都の私の実家に引っ越してきて間もなく、そのマンションの南側駐車場に新たにマンションが建つことを知りました。あの部屋に今住んでいる人には、私たちのような楽しみはもう許されないのです。

 引っ越してきた私の実家は、京町家作事組のおかげで、明るくてきれいな住み心地の良い町家に生まれ変わりました。以前は通り庭にある台所の明かり取りのための窓が、現在は居間の南壁の窓となり、テーブルに向かって座っている主人や私の位置からは、ちょうどその窓を通して空が見えるようになっています。その窓は高い位置にあるので、自分たちの手では開け閉めは出来なくて、うちにあった、いつのものかわからない「なぎなた」を使っています。ある時、何かふと気配を感じ、それとはなしに窓の外に目をやると、そこには真ん丸の「お月さん」。どこで暮らそうとも、私たちの生活を見守ってくれている、愛しい「お月さん」です。これからは、その小さな窓から「お月見」をして暮らしていくことになりそうです。 
(京町家友の会 事務局)
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