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京町家友の会

「京町家友の会」10周年に寄せて

 私共の「京町家友の会」が、平成11(1999)年に発足して、今年で10年目を迎えることになりました。会が歩き出して間もなく、会長という役を仰せつかりましたが、春が来て、夏を迎え、秋になって、すぐ冬となり、アッという間に1年が経ち、こうした繰り返しをして、なすこともなく早くも10年が経ったという感じでおります。
 京都は昨年、源氏物語千年紀に当り「源氏、々々」と湧きかえりましたが、一方で同時代の才女、清少納言も忘れてはなりません。彼女の「枕草子」二六〇段に「ただ過ぎるに過ぐるもの 帆かけたる舟 人の齢 春夏秋冬」とあります。真に当を得た、現在にも通じる名言といえます。
 この会が発足して暫くは試行錯誤が続きました。町家の住み手を中心に会を構成し、住み手の側から発信を期待すると、周辺から云われても、なかなか「友の会」そのものの姿が見えない年月が過ぎました。やがて徐々にではありますが会員も増えてき、例会も例会らしくなり、さらに京都以外全国からの入会者が結構加わるにつれ、「緩やかな集まり」とはいえ、当初期待の「京町家の理解者」の底辺が広がるかたちになってきました。
 かくして、最近こうした活力が「京町家」の再生や保存、活用に向かいつつある姿が見えてきて、一つの段階に辿り着いたかと思われます。この10年を経過して「京町家」の本当の理解が一歩進んだということが出来ると思います。
 これからの「京町家友の会」の使命、役割は極めて重要です。京都には所謂「町家」なるものが3万軒、5万軒有るといわれています。長い歴史を経て今日に在る「町家」は貴重な文化財です。何としても後世に残さなければなりません。町家の調査も必要です。再生活用も大切です。住まいとして住み続けることも大事なことです。会員各位におかれましては、是非「京町家友の会」の明日を見つめて、旧に倍してご支援、ご協力をお願い申し上げます。
 次の10年を見通すとき、私共のこの「京町家友の会」は、期して待つべきものがあると信じております。会員各位の益々のご清祥をお祈り致します。

松村 篤之介(京町家友の会会長)


 京町家がブームといわれて久しいが、ここ数年は一時の賑やかさが落ち着き、町家が京都の誇るべき建物として受け止められるようになったのは喜ぶべきことだろうと思っている。
 10年前の平成11年はちょうど今行われている町家調査の第1回目がまとめられた年。多くのボランティアの方々により、約2年かけて京都の中心部に28,000軒の戦前木造が数えられ、一躍京町家に光が当たった年でもあった。
 その4年前、平成6年トヨタ財団の研究助成に幸運にも採択され、町家の調査を始めた。サンプル調査のつもりが都市計画ではすべての数を把握しますという宗田先生の言葉にみながついその気になり、研究室の学生さんたちに大変な苦労を強いることになった。一軒一軒の様子を見、アンケートを投函し、写真も撮る。簡単そうに見えるが、不審者に間違われたり、お叱りを受けたり、雨の日も暑い日も大変な作業だった。でもそれが今日の結果に結びついている。調査なんて単なる学者さんたちの興味と調査の対象者でもあった居住者の私は当初拒否反応を示したのだが、いざ当事者になると見方はまったく変わった。なぜ町家が残らないのか、どうして潰してしまわれるのか、アンケートを読み、町家にお邪魔してお話をうかがうことを重ねるうちに、様々な思いが身にしみこんできた。私たちに何ができるのかということを日々問いながら、議論しながらの調査となった。
 トヨタ財団の調査は2年間継続し、田の字地区と呼ばれる中心部に8,000軒の町家を数えることができた。調査はその後冒頭の調査へとつながっていくのだが、町家にかかわる問題として大きなウエイトを占めていた維持管理について、作事組が組織され、居住者間の交流を目的として友の会が発足したことは、町家の保全再生を目指す私たちにとっては大きな出来事であった。その後情報センターも組織され、町家を支える手立てはゆっくりではあるが整いつつある。
 友の会は10年の間に大きく育ち全国的な組織となっている。町家という合言葉に多くの方々が集い、考え、行動をして下さる。一方で、残念ながら今も町家は減り続けている。町家に対する評価は変わったというものの、住まい手にそれが受け止められているのかは疑問である。外側と内側のギャップの違いに驚かされるが、今以上に声を大にして町家の大切さを訴えていくことが必要になってきているのだろう。5年で10%の滅失という驚くべき事実を目の当たりにして、支え手、担い手を増やすことが急務となっている。

小島 冨佐江(京町家友の会事務局長)


私は「京町家友の会」設立当初からの会員ではありません。2000年に実家の改修工事を京町家作事組にしていただいたことをきっかけに、自分の家の維持管理について少しは勉強しなければという考えと、町家を大切に想う方々の仲間に加えていただき再びの京都暮らしを充実させたいという思いから2001年に入会いたしました。友の会3年目の春でした。
 ちょうどその頃からマスコミが「町家」を盛んに採り上げ、取材される立場にもなりましたが、当時は生まれ育った古家を「町家」と呼ぶことへの戸惑いがありました。また四季折々の行事やしきたりに関しては我が家においてのことしか知らず、それがまた大変「ええかげん」なものなので、「町家に住む者」として、何を守っていくべきか、次世代へ伝えるべきことは何なのか、自問自答の繰り返しでした。ところが、京町家友の会の活動に参加することで多くの方々とのお付き合いが始まり、建物としての「家」のことは京町家作事組に教えていただき、また「京町家」に関しては京町家再生研究会から知識を得、そして日々の生活に即した「京都の暮らし」については、京町家友の会で楽しく情報を共有できるようになりました。
 私は2001年秋から京町家友の会の事務局として会の雑務を担っております。翌春には、スペースデザインカレッジ京都校のスタッフと学生100余名が入会され、一気に会員数も増え年齢層も広がりました。京町家友の会の現在の会員数は400名を越え、まさに老若男女の集まりです。そして、このところ顕著なのが、会員になられた当初は京都以外にお住まいだった方が京都に引っ越して来られることです。もちろん、その前段階として、京都に住みたい、町家に住みたいということで友の会に入会されて、町家を探しておられる方は京町家情報センターにも登録し、そこで良い町家と巡りあえたという方々もたくさんおられます。
 この7年半の間、会員の方々からのご相談内容は広範囲に及び、正直なところ近年は特に「よろず相談所」のような日常を送っています。しかし、9年前の我が身を振り返ってみると、東京に居て古家の改修についての知識も人脈もない時に京町家作事組や京町家再生研究会の方々が快く相談にのってくださった、その結果としてわが家が残り、今そこで自分と家族が快適に暮らせていることを思うと、その恩返しをさせていただいていると思っています。また、そのことで町家の住み手や理解者が増えることを何よりとても嬉しく思います。

山田 公子(京町家友の会事務局)

■京町家友の会 総会ならびに例会履歴
平成11(1999)年 磯野邸見学/祇園祭山鉾曳初め/京都国際木材建築カレッジ・「ギャラリー喜祥」見学
平成12(2000)年
●第1回総会 学芸出版社にて
新谷昭夫氏講演「京町家の歴史と現状」/松村家「町家の暮らしと祇園祭」/吉田家・紫織庵見学/葭屋町の町家見学#
平成13(2001)年 ●第2回総会 池坊学園洗心館にて
加藤類子氏講演「鉾町と京都画壇の人々」/小島家「京町家と祇園祭」/京のきもの屋「四君子」と杉本家見学/山田家改修町家見学
 
平成14(2002)年 ●第3回総会 二軒茶屋「中村楼」にて
秦家「夏の京町家」/新撰組屯所 旧前川邸(田野邸)見学/上七軒「老松」にて和菓子作り体験  
平成15(2003)年
●第4回総会 大徳寺大慈院内「泉仙」にて
大徳寺真珠庵と本坊見学/祇園祭浄妙山お飾り見学/並河靖之七宝記念館見学/大井邸完成見学会と「町議録」のお話
平成16(2004)年
●第5回総会 五条「はり清」にて
洛東遺芳館見学/長楽館見学と京極迪宏氏お話「京町家ネットについて」/廣誠院拝観と近辺散策/京町家ネット新年交流会「レストラン菊水」
平成17(2005)年
 
●第6回総会「西陣 魚新」にて
水野克比古 町家写真館・大宮庵見学/宇治「鮎宗」昼食・上林記念館・中村藤吉本店・平等院or宇治上神社見学/大江能楽堂見学/T邸改修工事完成見学
平成18(2006)年 ●第7回総会 亀岡「楽々荘」にて
「楽々荘」見学と保津川下り/松村家にて祇園祭のお話/重森三玲旧宅見学/京町家ネット新年交流会「渉成園枳殻邸」
/京町家ネット新年交流会 大徳寺「一久」
平成19(2007)年  
●第8回総会 南禅寺「菊水」にて
「菊水」庭園見学・水路閣〜インクライン散策/頼山陽書斎「山紫水明処」・新島襄旧宅・京都市歴史資料館・「あずきや&あずきやセム」見学/第2回全国町家再生交流会「上七軒歌舞練場」
平成20(2008)年 ●第9回総会 新町通「伊勢長」にて
小島家表屋と「路地町家 有」改修工事完成見学/「鳥彌三」鴨川床での夕食/M家別邸・松村家にて西村金造氏お話・「祇園 十二段家」にて鷺珠江氏と石井頼子氏のお話/臨時総会と京町家ネット新年交流会「三嶋亭」

2009.03.16