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京町家友の会
会長とティータイム
◎第4回……ごはん処 矢尾定にて(2011年1月24日)
〈松村篤之介(友の会会長)〉

●年の初めですので、俳句をひとつご紹介しましょう。
 「去年今年貫く棒の如きもの」高浜虚子の句です。「去年今年」は新年の俳句の季語です。虚子は、新年が来たからといっても特別変わったことはない、今年は去年の続きじゃないか、と言っているわけですが、その中にも年の改まりや貫く思いを感じさせるとてもいい句だと思います。ちなんで私は「去年今年愚かなことの繰り返し」と自分の思いを表しております。私の人生は今、交響曲でいえば第3楽章から第4楽章といったところでしょうか。終楽章ではありますが、必ずしも悪いわけではありません。ベートーベンの第九交響曲では「歓喜の歌」は4楽章ですね。希望に満ちたいいこともあるかもしれない。「去年今年3楽章から終楽章」と感じているわけです。

●私は、正月には何か自分に目標を設けることが必要なのではないかと思っています。「朝天気がいいから散歩に出た。そして歩いていて気がついたら富士山の頂上にいた」ということはあり得ないのです。やはり富士山の頂上に登るためには、登山計画を立て、しかるべき準備をし、自分にも言い聞かせて初めてできるのではないかと思います。

●今日は私の読書遍歴について話してみたいと思います。私の父は14歳の春に富山から室町へ丁稚奉公に出てきました。母も両親を早くに亡くしておりますので、特に文化的、教育的な家庭に育ったわけではなく、家に本がたくさんあるというわけではありませんでした。物心ついた頃には雑誌「少年倶楽部」を読んだ思い出があるくらいでした。
 府立三中(今の山城高校)に入学が決まった時、近くの本屋で初めて自分の小遣いで夏目漱石の『三四郎』を買いました。それでさあ読もうと文庫本を机の上においていたら、母に学業の妨げになると取り上げられてしまったのです。母は冒頭にある三四郎と女性とのちょっと艶のあるエピソードを知っていて、中学校に入りたての私には妨げになると感じたのかもしれません。私は家父長制の厳しい家庭で育ちましたし、中学校に入って、これからは自分の好きな本を読もうと思っていた矢先の出来事でしたので、これは自分の読書歴にとって強烈な思い出となりました。
 結局、ようやくゆっくり本が読めるようになったのは、戦争も終わって大学生になってからでした。それからは、読書に対して非常に貪欲になり、気になる作家や話題の小説は、その人の書いたものをみな読破するという形で本を読むようになりました。戦後はなかなか本も手に入りませんでしたが、古本屋を捜して文庫本を読みあさりました。岩波文庫を1日最低☆ひとつ(☆ひとつは100円の表示)読むのを日課にしていましたね。
 今も山本周五郎、司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎などの時代小説から現代の芥川賞、直木賞を取っておられる方のものまで、文庫本で出ているような人の作品はすべて読んでいますが、困るのは本の置き場所です。本棚も場所をとりますから、今年になってから決断し、人生を整理する上でも、読み終わった物故作家の本は古本を取り扱う量販書店に買い取ってもらうようにしました。
 物の整理について言えば、家の蔵の鍵は、父の生前は常に父の机の引き出しにあり、父母以外は誰も触ることが許されませんでした。父の死後は母がすべて管理していました。母の死後は私が鍵を管理するようになり、この機会に過去のものを捨て前に向かって人生を歩いていこうと思い、私の判断で不要品をすべて処分しました。

●今日は五省と言うことを申し上げたいと思います。
 至誠に悖(もと)るなかりしか
 言行に恥(は)づるなかりか
 気力に缺(か)くるなかりしか
 努力に憾(うら)みなかりしか
 不精に亘(わた)るなかりしか
 これは、海軍兵学校にいた時、就寝前のわずかな自習時間の終わりに、1日を振り返って自らに問いかけていた海軍伝統の言葉です。人として生きていくためには、このように反省し、自分に問いかけながら1日を過ごしていくことも大事ではないかと思う次第です。

* * *

 2011年になって初めてのティータイムは、読書のお話から最近話題の「断捨離」に至るまで、物と心を問われるお話となりました。さまざまなものを捨てられずに、日々家の物と格闘する私には耳の痛い話でもありました。五省とともに自らを戒めたいと思いつつお話を伺いました。
〈小林亜里(友の会通信担当)〉

2011.5.1