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京町家再生研究会

回り路地の町家

丹羽結花(京町家再生研究会 事務局長)



 下京の長屋再生プロジェクトについては京町家通信や再生研総会でもお伝えしてきた通りだが、この3月末、5軒のうち1軒に最初の入居者、ケントさんを迎えた。カナダのお兄さんが立ち上げた事業の京都支局として事務所兼住まいの町家を探していたところ、さまざまな出会いの積み重ねで、この長屋の居住者となった。

 ケントさんは小学生の頃、数年間北海道に暮らしたことがある。給食のシステムと自分の教室は自分たちで掃除するという習慣に日本文化の素晴らしさを感じた。大学では日本文化、とりわけ居住と庭の関係に興味を持ち、その後、日本への留学を果たす。所属した京都大学高田研究室では細街路の調査にも関わった。自身もまちなかの小学校の近くの路地にある町家に住み、実際に体験しながら研究を進めていた。

 その頃からすでに特徴のある回り路地のこの長屋のことは知っていた。緑が多くていいところだなあ、と憧れていた。今回、仕事をする側として事務所を探していたところ、高田研究室の前田先生からあの長屋を再生していると聞いた。近くの通りで開催したイベントで大家さんに会い、入居者を募集していることを知る。すでに別の物件を検討していたものの使い方の制限があり、逡巡していたところだった。タイミングよく改修中の町家を見せてもらい、今のひとつに決めた。

 5軒長屋のうちの今の住戸を選んだのは、奥庭に一本の木があったからだ。自分の体験、調査や研究を通じて、職住一致と庭とのつながりが町家の特徴とわかっている。この木を活かして自分の思いを反映した暮らしができるのではないか、それが決め手だったという。

 再生された町家を訪れてみると基本的な3室続きの間取りを踏襲したコンパクトな住まいとなっている。1階は仕事場、2階はプライベートにきちんと分けられている。1階は、常駐するスタッフや来訪者のことも考えてすべて板張りにした。ミセノマ以外は机と椅子をおいて、普通のオフィスのように使うつもりだが、家具はすべて落ち着いた木製、自然な感じが町家の風情にぴったりだ。

 奥庭には、一本のイヌビワの木がある。1階から見るとあまり見慣れない感じの幹がすっと天に向かってのびており、シンプルな印象だ。訪れた友人は、庭に面したお手洗いの造りに感動するという。そういう細かい作業ができるのも作事組ならでは。ちなみにカナダでは2×4の住まいが主流で、職人さんが腕をふるう場面がないそうだ。土壁も庭も、職人さんの技術や工夫が町家を支えている。

 とにかく庭を見ながら仕事をしたいので、どうやって机や椅子を配置すればスタッフと一緒に気持ちよく働けるのか、仕事もはかどるのか、自分で動き回りながらレイアウトを考えているところだ。動線も庭とのつながりを考えながら工夫している。通り庭側の壁にはスタンディングの机を置き、立ってパソコンが使えるようにしようというのが今のところの結論である。

 急な階段を上がった2階は住まいの空間。床の間にはこれも不思議な出会いで手に入ったドラムセットがここに来るのを待っていたかのようにぴたりとおさまっている。落ち着いたら昔の趣味が再燃しそう、そんな楽しみもある。奥の窓を開け放つと、1階からは窺い知れなかったイヌビワの浅い緑の葉が生い茂っており、実に爽快。初夏の風が部屋から路地の外にまですっと抜けていく。

 路地側の窓からは大家さんの家が見える。路地にある植物は大家さんが手入れしており、日々、水やりの大家さんと挨拶をする。回り路地ならではの景色と住み方を十分に取り込んだ町家がここにある。

 庭が完成する前に入居となり、今は庭師さんと相談しながら、町家にふさわしいデザインを一緒に考えている。そんなケントさんの唯一の不安は、夏の暑さ。自分はまだしもスタッフや来客が耐えられるかどうか、これからの課題である。

 こうして幾つかの出会いとそれなりの年月を経て、ケントさんの暮らしが風や光の満ちる場所で始まっている。昨今、田舎でIT起業というスタイルが話題を呼んでいるが、そんな難しいことは言わずとも、新しい住み方が自然に京都の町の中で展開している。日本のテクノロジーにあわせたアプリの開発がケントさんのお仕事だが、仕事はハイテクでも仕事をする空間は人間に適したトラディショナルなところで、という。こんなケントさんの姿勢が多くの人々にも共有できれば、町家再生の道も若い力が引き継いでいけるような気がする。

 実は筆者がケントさんに出会ったのも3年前の研究会、同じようなテーマをお持ちだなあと思っていた。見違えるほどすっきりと再生された町家で再会し(お目にかかるまでずっとケントさんのお兄さんが仕事を始める場所、と勘違いしていたのだが)、再生研の活動も年月を経て大きく実るのだと感じた。

2016.7.1