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京町家再生研究会

佐賀肥前浜宿くど造りの家

三木 佑美(京町家友の会)

旧乗田家住宅の表庭に植えられた柿の木
 昨年11月7、8、9日の三日間、第37回全国町並みゼミ鹿島嬉野大会が佐賀県で開催されました。今回は、その大会の会場となった鹿島市浜町にある、旧乗田(のりた)家の再生事例をご紹介します。

   浜町は、佐賀県の南西部に位置し、多良岳山系の裾野に流れる浜川の河口に出来た町で、江戸時代には、長崎街道の脇街道となる多良海道の宿場町として栄えた場所です。この地区は、酒蔵、居蔵造町家が立ち並ぶ醸造町「浜中町八本木宿」と、浜川を渡って南岸にある茅葺町家と桟瓦葺町家が軒を連ねる在郷町「浜庄津町浜金屋町」とがあり、平成18年(2006年)に2地区同時に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。そのうち漆喰で軒裏まで塗り籠めた妻入りの町家が立ち並ぶ八本木宿の街道を水路に沿って遡り、路地を曲がって歩いていくと旧乗田家住宅があります。街道沿いの防火性能を高めた商家とは一転して、木造真壁2階建ての茅葺武家住宅が、生垣で囲まれた土地の中央に建っていました。この建物は、19世紀初期に建てられた推定されており、元は鹿島鍋島藩に仕えた旧武士、最所家(さいしょけ)の住まいであったそうです。その後、乗田家の所有となり、宿場町に残る数少ない武家屋敷の遺構として鹿島市の重要文化財として指定され、現在では浜のまちなみ保存のための運動をされている「肥前浜宿 水とまちなみの会」が所有し、文化塾などを開催して維持管理されています。

 この建物修復は、民間の方々の尽力と、ある篤志家の寄付によって実現しました。平成16年(2004年)にこの場所を訪れた東京在住の方が、当時空き家になっていた乗田家を守ってこられた住民男性からの熱心な説明を聞き、感銘をうけ、物の修復費用として5500万円の寄付をされることになったそうです。それにより、この旧乗田家の改修計画が始まり、持ち主からの建物寄付、寄付金受け入れ母体として市民団体のNPO化が決まるという経緯だったそうです。

平面図
 旧乗田家住宅の内部は、広い土間をもつ持つ田の字型平面に、玄関のある東側に座敷が突き出し、その南面に縁側を配する構成になっています。この平面は全て続き間で見渡せるのですが、屋根裏を物置にするため小梁を入れた平天井や、瓦屋根の軒裏がそのままみえるダイドコ、座敷の竿縁天井など変化に富む空間構成で、生活の場としてとても魅力的な建物でした。さらに裏庭に回って眺めると、夕日に照らされた優美な曲線の茅葺屋根は、軒先が低く眼の行き届く人間的なスケール感であるので、関西以北の大きな茅葺き民家を見ている私には現代的に映りました。

 見学した日にはちょうど、修復に当たってご尽力された上記住民男性と、町並みゼミ大会での鼎談登壇者である、元吉野ヶ里遺跡保存対策室長を勤められた高島忠平氏、嬉野からの大会参加者とが居合わせました。維持管理されている方は、この建物を訪れた方にはゆっくりと建物内で時間を過ごしてほしいとおっしゃいます。裏庭には草花も生え周囲の畑地もあり、兵農未分離が特徴であった在郷武士の生活状況を今に伝えているそうです。高島氏も鼎談の中で、文化財の活用についてお話しされました。吉野ヶ里遺跡も教育などの場面で今以上にもっと活用されるべきとの事でした。

 旧乗田家住宅の表に育った柿の木にたくさんの実がなっている風景を眺めながら、昔は渋柿の木をそばに植え、柿渋をつくり防虫剤などに利用したとのお話を聞きました。建物や地域が保存対象になるだけではなく、この柿が住宅の傍らで実り続けるように、生活や生業も含めて継承し利活用され、その結果が風景として存続することの大切さを再認識しました。


裏庭から見る

土間よりダイドコ(右手前)越しに見えるツギノマ(奥)とチャノマ(左中)シンプルな平面構成と、天井や屋根架構に変化があり面白い空間体験ができる
2015.1.1