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京町家再生研究会

猫からはじまるシェアハウス──中京区・ttの家

内田康博(再生研幹事)

ミセの間(オーナーの書斎)
 今年の春先、1匹の猫が主役のシェアハウスに住人が集った。場所は二条駅の西側。大正から昭和の初め頃にかけて建てられたと思われる2階建ての町家がまだまだ町並みの主役となっている地域にある。2階に縦長の窓が3つ並ぶ洋風のデザインは当初からのもので、大正モダンの雰囲気が感じられる。なんともいえず、りりしく、かわいらしい。間口は3間弱、1列3室型の典型的な間取りで、トオリニワは床を張って上げてある。

 入居者の一人でもあるオーナー兼管理人さんにお話を伺った。お聞きすると、管理人は自分ではなく、猫だとおっしゃる。そして、そもそもこのシェアハウスは、猫のために発案されたとのこと。もともと自宅で猫を飼われていたが、海外の地域社会を研究テーマとされているため、時折、1ヶ月弱ほど海外での調査に出かけることがある。その間、ペットホテルに猫を預けていたが、どうも猫にとって思わしくない。家族もそれぞれ忙しく、長期間はまかせられない。そこで、シェアハウスを運営し、そこを猫の居場所とし、その一室を自分の仕事場としながら猫の世話をし、長期出張の間はそこをシェアする入居者にちょっと猫の面倒をみてもらったらいいのではないか、と思いつかれた。そこで一番長い時間を過ごすのは猫なので、管理人は猫ということになる。そんなことで、猫が主役(管理人)のシェアハウスに住人が集うことになった。

 場所として、なぜ町家を選んだのかをたずねた。町家にいると、これこそが「家」だと思える、とのことだった。この町家を購入し、シェアハウスとしての手直しを職人さんと一緒に行っていると、町にとけこむ町家の空気のなかに、ふとそれが感じられた。長く東京で新築の3階建ての典型的な現代の住宅に暮らしていたが、思い返すと、東京で住んでいたのは、あれは「家」じゃないです、とまでいわれる。お聞きする間も、町家の空間には春先の心地よい風が通り抜け、夕方の光がミセの間を通して共有スペースとなっているダイドコまでやわらかく届き、家の前をとおりすぎるおじいさんの下駄の音が聞こえ、近隣で営まれる生活の様子がほどよい距離で感じられる。庇のある窓は雨の日にも風を通すことが出来、小さな庭に面して外の空気に触れることができる縁側もある。猫のために必要な空間、環境を考えてこの家を選んだとお話されたが、そここそが「家」であった。そこに集う「猫好き」という条件で集まった住人は本当の家族ではないけれども、単なる友人以上の、家族に近い関係がうまれつつあるように感じられる。建築当初から大きな改修はされておらず、シェアハウスとするにもほぼ元のままで使うこととし、個室の間仕切りも襖のまま。そんな町家の空間が、住人を家族に近い関係にしてくれている。もちろん、家の真ん中の共有空間に入居者それぞれの専用の小さな本棚を置いて、そこにある本や小物をお互いに読んでも触れてもよいことにするなど、仲良く暮らすための工夫も役に立っている。そして、町並みにしっくりなじみ、格子越しの気配をお互いに感じつつ、隣近所のお付き合いも自然と生まれる。


「管理人」の猫と専用出入口
 思えば、人間はどんなところでも住もうと思えば住める。社会からも自然からも隔絶されたマンションや高断熱高気密住宅にも住める。家族がいなくても生きていける。でも、猫のことを考えると、長期の留守の間、ずっと家の中に閉じこめておくわけにはいかず、面倒を見てくれる家族(のようなもの)が必要となる。ひなたぼっこをする風通しのよい縁側や、トイレになる庭の片隅もやっぱりほしい。散歩ができる車の少ない通りももちろんいる。ここでは、猫のためにと考えた空間や人間関係が、それこそが人間らしい生活のための空間や人間関係となっている。お話をお聞きしつつ、改めて考えるとおどろくほど、人間は、日頃、人間らしい居住環境について考えてはいないし、我慢をしたり、あきらめたりしていることに気付いてさえいないのではないかと思えてきた。それを、猫が、教えてくれている。

2012.5.1