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京町家再生研究会

おくどさんと薪ストーブのあるギャラリー ─右京区・「清滝テラ」

内田康博(再生研幹事)
清滝テラ
清滝テラ
おくどさんと薪ストーブ
塗り立てのおくどさんと薪ストーブ
  昨年暮れ、寺町通りのギャラリー・テラの小林さんから、町家の購入を検討しているので相談に乗ってほしいと電話をいただいた。作事組を通じて小林さんのご実家が所有する借家を改修させて頂いて以来の縁で、とにかく見せて頂くこととした。場所は愛宕山の登り口にあたる清滝の集落の中程、古くからの道沿いで、清滝川に沿って緩く弧を描く町並みにとけ込んだ風情のある建物だった。
 小林さんのお話では、これから、10年間営業してきた寺町のギャラリーと竹紙の店をたたみ、主に西陣の御自宅に竹紙の店を移し、清滝のこの町家を新たにギャラリーとしたいとのことだった。この間の経緯は「京町家通信vol.69 暮らしの歳時記 その40 新たな春へ(小林亜里)」でご紹介されている。当方への相談内容は、この町家が購入に値するか、長持ちするか、今後ギャラリーとして使い、長持ちさせるためにはどのような改修が必要で、工事費はどのくらいかかるか、ということであった。
 築年代は明確ではないが、明治の終わり頃から昭和の初めにかけてと思われた。ご近所の方からお話をお聞きすると、元々は向かいの家の離れとして使われていたが、その後何人かの所有者を経る間にいくつかの増改築が行われたとのこと。直前の持ち主は織物関係のギャラリーをされていた。建物の状態をみると、裏手の廊下の湿気がきつく、建物を傷める原因となっていた。裏手には山の急斜面が迫り、1階の軒のあたりまで石垣が積まれている。裏山からの雨水をうける排水路はモルタルで埋められ、そこから道路側に排水する経路も増築のために塞がれていた。一部排水は設けられていたが、ほとんどの水は土に浸透し、建物中央の土間に直前の持ち主が調査のためにあけた穴の底には地面から30センチほど下まで水がたまっていた。とにかく湿気がきつく、建物も傷み始めているので、長持ちするか、と問われると不安もよぎったが、傷みの原因となっているのは近年の改修によるもので、それでもこの建物は少なくとも80年、または百数十年に渉り維持されている。できる限りもとの状態にもどし、伝統工法を踏襲することで、築百年の建物をさらに百年維持することは可能のはず、というこれまでの経験に励まされ、改修をお手伝いさせていただくことにした。もとより、寺町のギャラリーと同様、この町家との運命の出会いをされた小林さんは相談以前に心の中では購入を決めておられたはずであるが。工事は作事組のメンバーであり、別件で工事をして頂いていた山内工務店さんにお願いした。
 改修内容は維持保全のためと、ギャラリーとしての使い勝手のための最小限に留めた。裏手からの排水経路を確保し、どうしても湿気のたまる裏手の廊下の半分は壁を撤去し当初に復元した。廊下の壁を撤去すると、湿気の原因であった濡れた石垣のコケと竹林が、清涼感と生命感にあふれて目に飛び込んできた。1階の土間は3分の2を板張りとし、3分の1を三和土とした。不思議なことに、雨がきついとモルタルの土間は湿気でべたべたになるが、三和土の土間はしっとりするだけでいやな感じにならない。
 小林ご夫妻の当初からの希望に、おくどさんと薪ストーブの新設があった。火除けの神様の愛宕さんのお膝元で、どうしてもおくどさんに薪をくべてご飯を炊きたいという奥様と、薪ストーブがほしいというご主人の決意は揺るぐことはなかった。いうまでもなく、建物の大敵は水と火である。大敵ではあるが、人間にとって必要なものである。この町家で、小林夫妻は水と火と、いかにうまくつきあうかという課題に取り組み、それを多くの人と共有したいと望まれていると感じた。おくどさんはご主人が自ら制作された。作事組の左官屋さんである「さくあん」さんに指導して頂き、京町家棟梁塾の塾生も実習としてお手伝いさせて頂く貴重な機会を得た。
 7月31日夜の愛宕山の千日詣りの前にギャラリーをオープンし、おくどさんで炊いたご飯を皆さんでいただき、喜ばれている。今後も多くの人を招き、おくどさんや薪ストーブを体験していただく企画を御用意されている。皆様どうぞ足をお運び頂き、木と土と石の家で、水と火と人との深い関わりに思いを巡らせて頂ければ幸いです。
友の会の見学会
友の会の見学会(8/12) おくどさんで炊いたご飯をいただいた
炊きあがったご飯
炊きあがったご飯
2010.9.1