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京町家再生研究会

三軒目の町家再生  ─東山区・北村邸

末川 協(再生研幹事)
 三条通り北側、蹴上の町家の宿「あずきや」とその別館「セム」の再生は京町家通信の44号と53号に紹介されている。若い女将の北村さんは、この秋に三軒目の町家再生、主屋のファサードの復旧を成し遂げられた。京町家・まちづくりファンドの助成が頂け、あずきや2階のアルミサッシを木製の窓に戻し、別館の銅板の庇の葺き替え工事も同時に行われた。

三条通の三軒の町家
三条通の三軒の町家

 主屋と別館の間のお隣には快く一年おきの工事のご理解が頂けたそうで、特筆すべきは今時のコンプライアンスを物ともしない敷地越境のご了解、お隣の建て替え工事の際に切られていた主屋表屋の東側ケラバも母屋と桁を継ぎ足して復旧された。三条通の反対側から甦った町家の姿を眺めると、建物を雨風雪から守るためにさしかけあうケラバによって、間口の広い主屋の正面が整い、町並みが連続する視覚的な効果も本当に大きいのだと感じられる。
 例によって北村さんは自分のできる改修工事に加わられた。北村さんの工事を手伝う仲間はいつも多いのだけれど、今回は心強いパートナー、昨年ご結婚された柱本さんが加わった。ご自身の書斎を大工さんのキザミ場所に明け渡し、「頼んだわけではないけれど気がつくと後ろでやりたそうにしてはるんです」とは北村さん。日中はお友達も、夜更けには仲良くお二人でミセノマの漆喰塗りや手の届くところのベンガラ塗りに励まれた。ベンガラを押さえるためのテンプラ油には唐揚げのいい匂いが残っていて、現場に置かれた容器の回りには夜中にゴキちゃんたちが集まっていたそうで、これが今回の改修で一番のハプニングだったそうだ。ベンガラ塗りでは京都の景観の保全や再生を学ぶ学生の体験イベントも受け入れていただけた。こちらは油の匂いと関係なく、向かいのホテルに出入りする外国人観光客も見学や写真撮影に立ち止まり、成果はともかくパフォーマンスとしての効果はあったのだろうと思われる。
 柱本さんのイタリア文学書に囲まれながら2階の肘掛を任されたベテラン大工は、「これを最後の仕事のつもりで取り組みます」と気合十分、朝は他の大工さんの一時間前から入場し、腕木のくり型などを丹念に刻まれた。これらの作は大切に守り続けられ、これからも永く三条通りを行きかう人々の目を楽しませることだろう。

北村邸夜景
北村邸夜景
 外部足場と養生シートを解体した日には、ご近所や観光客の飛び込み見学が絶えず、大工さんも仕事にならない午後だったそうだ。どこから来たのか、「僕も町家の旅館がしたいんです」という追っかけや、TV番組のアシスタントディレクターまでネタ探しに現れたという。初めの「あずきや」の改修から5年近く、北村さんは昨今の町家再生への関心の高まりを改めて感じられたそうだ。同時に、「何のお店にしはるんですか」という質問の多さには、町家の再生が即ち、その商業利用と思われている状況に素直な疑問を感じられた。実際にオモテをテナントに貸してほしいという人も現れたそうだ。しかし、もともとの町家のミセノマのとおり、半公半私のなんにでも使える場所、晴れの時には友人たちとお華のお稽古の発表やアーチストの友人たちの活動を受け入れる場所となっても、時に応じて様々な形で人をもてなせる場に留めておきたいという。東海道の入り口に、あるべきような姿を取り戻した町家にとって、あるべきような使われ方なのだと感じられる。
 三条大橋から東で、特に階高の大きい町家の1階正面は、シンプルな出格子と格子戸だけで再生された後、町家の大きさにぴったりの自動車チンクェチェントを待ちながら、その内側には、ここにしか置けないだろうと思うくらいぴったりの大きなぼんぼりが飾られている。元の造酒屋のお提灯がいつも灯されているあずきや本館、元の時計屋のショーウィンドーにいつもお華が活けてある別館と並びながら北村さんの再生した三軒目の町家は、すでに京都を訪れる人々を、気さくで細やかな心遣いでもてなし始めている。
2009.1.1