• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会

開放感と一体感を演出する「吹き抜け」を新たに造った居酒屋

磯野英生(成安造形大学教授)
 今回の訪問先は、居酒屋・清水家である。すでに前号の「京町家通信34号」で、施工に当たった作事組理事の山内茂氏から工事の概要は報告されているので、ここでは工事の概要よりもお店の運営方針などを報告したい。
 お話は店の料理を主に任されている堤大五氏(30歳)からうかがった。堤氏は、お店「清水家」の経営者である渡辺哲也氏と同年齢で、以前勤めていたところで一緒に働いたことがあった。今回のお店を開くに当たって渡辺氏から一緒にやらないかと誘いがあり引き受けられたとのことであった。
 この京町家を入手したのは開店2ヶ月前で、不動産屋さんにあらかじめ町家の物件を頼んでいて見つかったものであった。建物は築後110年ほど経過しており、敷地は27坪、延べ床面積は30坪余である。以前の住み手は商売をやっていたわけではないが、詳しくは分からないということであった。店のデザインは、京町家作事組の木下龍一氏(アトリエRYO主宰)にすべて任せたが、店の雰囲気はアットホームな感じにしたいとは伝え、また広く見せたいということも依頼した。
 お店を拝見すると一階の押入はほぼ撤去されているが、広さの確保ということに配慮してのことようだ。店を入った左手の部屋(通常店の間と呼ばれる室)に設けられた吹き抜けは、少しあざとさを感じはしたが、部屋を広く見せ、またともすれば寸断されがちな上階と下階とを結びつけ、開放感と一体感を醸し出すことには成功していると思われた。吹き抜け脇二階の小間は、吹き抜けがあることでその狭さを感じさせず、それどころか眺めという点では店の好ましい席にもなっている。しかし、そこに置かれた床置き式のソファは、あまりにも所帯じみたものが置かれ、せっかくの雰囲気を台無しにしているように思えた。ゆっくりくつろげる場にしたいという意図は理解できるのだが。
 壁は土壁の色をそのまま素直に出して、施主の温かみがほしいという要望に合致していると思われた。厨房は少し狭いそうだが、工夫してやっているとのことであった。厨房内の井戸も使用はしていないが、そのまま残してある。トオリニワの上方へ伸びる吹き抜けと下方に伸びる井戸の二つの要素によって水平になりがちな町家に垂直感と深みを与えてくれる。井戸を埋めてしまうことも多いなか、残しておかれたのは町家の記憶としても良き判断であったのではないか。

2階奥の間
 二階へ上る階段は思い切って反対方向に付け替えられ、食事を運びやすい様に工夫されている。庭も荒れていたので植木も多くを植え替え、灯籠も新たに入れた。
 それほど大きな町家ではないが、店の構えはしっかりしており、内装もはでではないが質朴な感じがするのは、むしろ好ましく思える。
 ただ、少し苦言を呈しておきたい。これはあくまでもさらにより良い店になってほしいという思いからあえて言うのであって、否定しようというつもりで言っているのではない。そのことを承知していただきたい。
 二階の吹き抜け横の板の間の家具だけではなく、一階の店の間を土間に改造した部屋に置かれた椅子とテーブル、奥の座敷の机、二階の座敷机などがやや店の雰囲気を損なっている感じがした。アットホームな雰囲気にされたいとの意向はわかるのだが、ここは住まいではないのだ。所帯じみた感じが出過ぎると敬遠されるのではないかと心配してしまう。家庭的であることと所帯じみた雰囲気とは似て非なることである。お店にくる客は、多かれ少なかれ家庭を持っている。お店では日常的ではない雰囲気を味わいたいところもあるはずだ。そこを見誤ってはいけない。もっとも今家庭が家庭的でなくなっている可能性もあるが、そうであるとしたら何をか言わんやである。
 照明器具は、昔風で暖かみのあるものを選ばれたそうだ。掛け軸を始めとした室内の飾り付けも、小さなものが一つずつ集積して店の雰囲気を創り出す。そのなかの一つでもレベルが落ちるとすべてがそのレベルまで落ちてしまうのがインテリアの飾り付けの難しいところである。まちづくりも同じではないだろうか。
 こうしたことを見てくると、やはり専門家の助言と果たす役割は大きいのではないだろうか。家具などの選定にも、差し出がましくない程度の助言は必要ではないか。それが設計料とは関係がなくともである。以前取材した布屋さんなどは、木工芸家がかかわることで町家の雰囲気と合った家具がその雰囲気を高めていたように思う。もちろん、予算のこともあるが。
 細かい点になるが、空調機の室内露出への配慮はなんとかならないのかといつも考えてしまう。とくに木や土や紙で構成された家には似合わない。異物である。設計者のさらなる工夫をお願いしたい。
 とはいうものの、町家を生かした店ができることで、町家への理解が深まるのであればありがたい。ただ儲かるから、今、流行っているから、ではなくてである。
 今回は、施主と設計者の御寛容に甘えて、日頃町で感じていることを思わず書いてしまった。これも京都の町がより良くなってほしいという一念からのことであると考えていただき、ご容赦願えればと思う。


2004.7.1