法との格闘の末に ―京町家民宿「布屋」オープンにあたって―

梶山秀一郎(再生研究会理事、作事組理事長)
作事組にご相談をいただき、初めてお宅を訪ねたのが昨年の4月9日。外観はまさに絵に描いたような看板建築であり、元に戻した姿を想像し、武者震いを覚えた。一方お施主さんの構想が“町家を直して民宿にしたい。すぐに許可は取れないだろうから、当面は喫茶店として利用して、おいおい民宿として経営したい”、というものであることを伺ったときは、今まで専ら住まいとしての町家を改修してきた作事組として、初めての町家本来の職住兼用型であり、かつ民宿という前例のない業種に、町家の多様な使い途の一事例として提示できるという期待と、果たして許可が取れるのだろうかという不安が交錯したのを覚えている。
“おいおい民宿にしたい”という猶予を与えられたこともあって設計は進み、改修費用も規模が大きいだけに多額になってしまった見積もりをあの手この手で圧縮するという苦労はあったものの、お施主さんに予算を上積みしていただくことと併せて調整もできた−しかしこの間も、作事組の理事会では合法的に解決できない事例を作事組で手掛けるか否かの議論が延々と続けられていた−。そして銀行からの事業資金融資の目途も立ち、後は着工という段階になって、お施主さん・作事組双方とも足踏みを余儀なくされた。民宿経営で立案した事業計画をもって銀行から多額の借金をし、民宿経営の目途も立たないまま、工事にかかって良いのだろうかという不安がひたひたとうち寄せてきたのである。むろん所轄官庁に対する事前調査はしていた。しかし具体事例を示すことは避けていたことと、行政担当者も常套として可否の判断は審査後に持ち越す。逡巡したあげく意を決して着工したのは秋だった。
現行法令上、今回の事例がどのような扱いになっているかというと、まず周知のように昭和25年に施行された建築基準法で京町家を含む伝統木造軸組構法は「既存不適格建築物」とされた。既存不適格とは新たに制定された基準に見合わないということで違反建築ではない。従って修繕も何もできないということにするのは不都合だということで、一定の条件で修繕、模様替えや増・改築(建て増しと建て替え)及び用途変更−たとえば特定の人が利用する住まいを店舗や施設などの誰彼なく利用する用途に変えること−も認められている。
「布屋」のケースで説明すると、これはあくまで仮の話であるが、 増築や改築があって税理士事務所併用住宅という用途を民宿(旅館業法の簡易宿所)併用住宅に変えたとする。まず確認申請が必要で、構造を現行基準に合わせること、敷地面積に対する1階の床面積(地面を覆う面積)の割合である建蔽率を60%以内にすること、準防火地域内の木造建築として外壁と軒裏をモルタルで塗りまわすなどして防火構造にすること、内装を燃えにくい材料にすることが求められる。具体的には構造を適法化しようとすれば布基礎に緊結された土台と柱、梁(胴差し)、筋違(斜め材)で構成される壁を作らないと満足できない、すなわち布基礎も土台もない町家は潰して建て替えるしか手がない。町家の建蔽率は70%前後でこの事例に限らず概ね失格である。防火構造について、外壁は土壁でクリアしたとしても軒裏を防火構造にすることはモルタルのような軒に負担をかける重い材料ではなく、軽いものでしたとしても、できあがった姿は京町家でも何でもなくなってしまう。内装制限に至っては木の板で作られた天井や床板がそのまま仕上げになっている大和天井ををどうしろというのか。
幸い今回は増・改築がなく、用途変更する部分の面積が100m2を超えないため、確認申請手続きは不要−基準を守らなくて良いと云うことではなく、許可ではなく確認という趣旨に添って遵法責任は建築士に委ねられるということであるが−であり、消防法上の設備基準や旅館業法上の要件を満たせば良いということであった。しかし今回は特殊条件として、北側に建て売り住宅を建てるための道路があり、そこから庭に侵入できるため、消防法上の無窓階(床面積の1/30の開口部で避難用ではなく消防隊が救助のために侵入する窓等)にならずにすんだということがあった−通常の町家では表通りにしか面していないためほとんどが無窓階になり、屋内消火栓という町家にとっては能力もコストもとんでもなく大仰な設備が義務づけられる−。
さて、どうしてこんなおかしなことになっているかというと、それは基準が作られた動機にある。現在の建築基準法に先立つものとして、大正9年に施行された市街地建築物法がある。制定理由の主なものの一つは、欧米に負けない近代国家に相応しい全国統一の法律を作ること。二つに燃えない都市を造ること。三つには地震で壊れない(倒れない)強い(固い)建築に変えることであった。一、二については「乙種防火地区の規定や路線式地区指定の考案は(中略)我が木造都市に即応したもので、情けないが已むを得ない」という述懐や「(都市計画課長の何某)氏が、自ら先頭に立って欧米崇拝院殿鉄筋コンクリート居士なんて云われながら(云々)」という制定当時の逸話からわかり、地域性や木造自体の防災性がどうかなどという議論の余地はなく、本当は都市からなくなってほしいのだが、どうしても建てるならモルタル巻きにしてくれということであった。また固い構造については「(地震や風の)被害の大部分が柱、梁其の他之に関する構材の継ぎ手及仕口の弱きに原因」し、「柱は建築物の重量を土台基礎を通じて地盤に伝えて之を支えしむるところの重要な役目」であるため継ぎ手、仕口は金物で補強すると共に柱は土台か基礎に緊結し、壁や床は斜材(筋違や火打ち)で補強する、とし、防腐処理をすれば掘立柱でもよいことになった。これをもってわれわれが一気に300年前の戦国時代の構造に戻ってしまったとするところである。
いかに時代の要請であったとはいえ、このような狂奔的でかつ一辺倒な判断が、法案起草時から起算して100年以上もまかり通ったことになる。
今後、町家を保全・再生して行くためにはさまざまな使い途を模索する必要があり、その中には今回のような幸いなケースは少ないと思われる。建築基準法等の現行基準の見直しに猶予はない。
2003.11.1 |