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京町家再生研究会

第40回全国町並みゼミ名古屋有松大会に参加して

丹羽 結花(京町家再生研究会)
 有松は第一回足助・有松大会開催地であり、町並み保存連盟発足当初の3団体(妻籠、今井、有松)の一つでもある。2016年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されたこともあり、今回40周年記念大会の開催地となった(2017年11月17日〜19日)。福川裕一理事長はじめ、第一回大会に参加した方々にとってはとりわけ感慨深いものがあったようだ。40周年記念映像の放映もあり、一同でこの40年を振り返ることもできた。第一回のテーマ「町並みはみんなのもの」から「町並みはわたしが守る〜みんなのものから40年〜」までの変化は、個々人が自覚を持ってこれからの課題に当たらなければならないという、現状の危機感のあらわれであろう。当時を知らない若い学生を含め、多くの参加者がさまざまな議論を交わした。

 開催地の有松山車まつりは、有松天満社秋季大祭、10月第一日曜日に開催され、3つの山車が出る。東町の布袋、中町の唐子、西町の神功皇后、それぞれにからくり人形がある。2日目午前中、有松山車会館で、唐子車の文字書きからくりが披露された。小雨の中、外で披露できないのが残念とおっしゃっていたが、関係者のみなさんの熱い思い、屋台の中の様子なども拝見でき、とても興味深かった。

 引き続き参加した午後の第3分科会では「町並みと山車・まつり」をテーマにし、地域コミュニティが議論の中心となった。地域文化の代表でもあるまつりには、歴史的な地域の多くが直面している高齢化や空き家問題と関わり、継承への困難が予想されている。そのような状況下、紹介された各地の取り組みは、とりわけて新奇なものではなくとも、地道な積み重ねが今日の祭の姿になっていることがよくわかった。

 有松からは西町の本田さんが有松天満社文嶺講副代表としてパネリストを務められた。どこのまつりでも自分のまちが一番と思いながらお互い敬意を表するようで、中町と東町の代表者にもコメントの機会を割り振る、次代を担う若手の方にも発言の機会を与えられるなど、地域全体でまちとまつりを維持している意気込みが伝わってきた。

 飛騨古川の柳さんからはまつりの激しい様子が淡々と語られた。歩道橋撤去の問題で、おこし太鼓が通りやすいようにという配慮があったなど、まつりに伴って町並みが良くなる事例も紹介された。独居世帯が増えているというが、「まつりは続けないといけない」「まつりが地域を支えている」という意識は地域に浸透しており、生活やまちの一部としてまつりが息づいているようだった。

 関宿の服部さんからは「関宿かるた」など、次代の育成に向けていろいろと工夫されていることが語られた。夜の静かなお祭りで、風情がある、いいなあという思いを養っていかないと、お祭り騒ぎになってしまうという危機感も語られた。まつりの本質をどのように伝えていくのか、という課題が見えてきた。

 コーディネーターの浅野先生が紹介された上野天神祭巡行路の高層マンション建設問題については考えさせられた。中層建築物の建て替えについて訴訟がおき、町並みとまつりが優先された。それでも残念な町並みになったという。

 もっと残念なことに京都ではもはや祭が映えるように建物の高さを考えようという気持ちが見られない。根底にあるはずの町会所でさえ、機能を優先して建て替えられる。派手な商売をしたり、セットバックにバリケードを設けたり、「祭のため」の意識が薄れているように感じられる。だが、明倫学区まちづくり委員会で取り組んでいるように祇園祭にふさわしい風格のあるまちをめざしてがんばっている住民もいる。統一した提灯建てを復活した町もある。失われてしまった町並みをもう一度取り戻そう、作っていこうと取り組んでいる人たちがたくさんいるのは明るい兆しであり、まつりがあるからできることなのだ。

 まつりだけでも、町並みだけでも、「保存」するだけでも意味がない。コメンテーターの大森先生がおっしゃったようにまつりを核にした町並み保全が可能であるとともに関わる人々を旧町内などに限定することもない。

 ただし、次代に引き継ぐ教育などのシステムが必要である。近世の趣を踏襲しつつ、現代に生きている祭を古色蒼然と執り行うことが重要なのではなく、次代に引き継ぐために大切なこと、気持ちや精神を共有しながら毎年おこない続けることこそ、まちとまつりが一体となった保全継承につながると思われる。

 午前の見学会では、雨の中、有松のみなさんがとても丁寧に案内してくださった。有松絞りを学ぼうとする若い人達や技術力のある方の姿に生業あってこその「まち」であることを痛感する。お茶席でのおもてなしもこころあたたまるものだった。邸宅を守りつつ新たな試みを始めている方が、「ここに生まれたものの使命だから」と明るくおっしゃった一言が印象的だった。有松文嶺講のみなさんも、当日の運営はもちろん、日々ボランティアでいろいろな仕事にたずさわっておられる。まちやまちなみをつくり、まつりを担っていくのは、こういう人々の気持ちと地味な努力の集積なのだ。「わたし」にできることは限られているが、未来に向けて望ましい考え方、まちや祭の精神を伝えていくために「わたし」にしかできない役割をそれぞれの立場で果たしていかなければならないと痛感した3日間であった。

2018.1.1