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京町家再生研究会

京都の民泊−町家ホテルは増えるのか

<宗田好史(京町家再生研究会副理事長)>
 街中に外国人旅行者が増えている。観光地でもない普通の街中に増えている。今話題の民泊に泊まる外国人だろう。先日、京都市が市内の民泊実態調査結果を公表した。民泊とはマンションや戸建住宅等、個人の住宅に有料で泊まること、それが今やインターネット上の「エア・ビー・アンド・ビー」(AirbnB)等の大手仲介業者のWebサイトを通じて、世界191ヶ国以上の民泊が予約できる。これらサイトを調べたところ、登録された市内の民泊施設は2,702件(収容人数10,428人)あった。その中で集合住宅62%、戸建住宅35%、しかし、場所を特定できたのは1,260件、47%に過ぎなかった。行政区別では下京22%、中京17%、東山15%と都心が多い。左京では戸建ての部屋貸、東山では一棟貸が多い。ただし、旅館業法による市の許可は受けたものは189件、たった7%だったという。
 
 確かに都心と観光地周辺に多い。しかし、その半数弱は一般の住宅地にある。自分でもWebをみると、本部小島邸と釜座町家の間だけで20件もある。一方、拙宅付近下鴨通・北山付近でも7件ある。新町通り付近にはマンションが多く、下鴨では戸建てが多い。民泊の運営者で京都府外に在住する人は26%、米国や中国等海外在住者も2%という。しかし7割以上は京都に住む普通の人、大半の施設の料金はビジネスホテル並み、京都では安い宿といえる。だから西陣や下鴨の普通の街角にも大きなバッグを提げた外国人が目立つようになった。普通のお宅から外国人の家族連れが出てくる。「現地のホストのお家に宿泊して、191ヶ国以上で暮らすように旅しよう」というこの新しい観光の形は、今やすっかり普及した。京都で観光客は珍しくはない。しかし、ご近所にも外国人が泊まる時代になった。
 
 市の許可を受けず右京区のマンションを観光客用ホテルに転用したとして、京都府警が昨年末、旅館業法違反の疑いで、伏見区の不動産管理会社と東京都千代田区の旅行会社、山形市の旅行代理店の3社と、各社の社員ら計3人を書類送検した。近所に民泊ができ騒がしくなった、間違えられて迷惑している等の苦情が多く寄せられてもいる。だから、京都市の実態調査はより詳しく続けられている。
 
 一方、我国は空前の観光ブームに沸いている。観光客が集まる東京、京都、大阪ではホテルが足りない。だから、国は容積率を緩和してでもホテル建設を急がせている。当然、民泊も必要と観光庁は見ているが、京都市は慎重な態度を崩さない。衛生面や防災防火が心配であり、テロ対策の視点からも懸念があるという。放っておいていいはずもない。もちろん、空き町家の活用に資するという意見がある。実際、長年放っておいた実家をゲストハウスに改装したいという申し出が増えている。空家と独居は増え続けるのだから、空いた部屋を使って欲しいという所有者の思いが広がるのは当然だろう。
 
 京町家再生研はこれまでも、町家の宿泊施設も手掛けてきた。旅館業法や消防法の規制も研究した。この間、旅館業法施行令は改正され、簡易宿所営業の客室延床面積の基準33u以上が、宿泊者数10人未満では3.3uに宿泊者数を乗じた面積に緩和された。また厚生労働省通知が改正され、宿泊者数10人未満の簡易宿所では、宿泊者の本人確認など管理体制があれば、帳場の設置が要らなくなった。町家に限らず民家を宿に使う上での制約が減れば、貸したい人も増える。全国の小さな宿が旅館・ホテルを脅かす存在になっている。
 
 一方、利用者側から見ると、民泊の増加は団体旅行が減り個人や家族連れ等の小グループでの旅が主流になったことに原因がある。少しでも安く泊まりたいことに加えて大型ホテルを避け、小さなホテル、できれば民家に泊まり、町の人に近い所で同じ様に過ごしたいというスタイルが広がった。その方が、町がよく分り、寛げるというのである。
 
 利用者の選択肢が広がった意味は大きい。個性がない上に、中途半端な値段でサービスが画一的なホテルばかりでなく、また高級旅館と古いだけの小さな旅館に二極化する状態でもなく、個性にあふれる京都の家々をインターネットで検索するだけでも楽しいだろう。5万円以上の高い町家もあれば、3千円程度の安い部屋もある。誰とどう過ごすかを考えれば、宿は多様である方がいい。今や高級な町家ホテルは京都の定番になった、そのお洒落な体験がいろいろなところで話題になっている。広がった選択肢を上手に使う顧客が新しい京都観光の提案を続けている。京都に暮らす我々以上に京都の魅力を広げている
 
 一方、このAirbnBは京都だけの現象ではない。世界中の観光地に広がったため、日本では最大の観光地・京都でまず目立っている。馴染みのイタリアの街で検索してみると、雨後の筍の状態、若い頃2年程住んたローマの安マンションにも3部屋に泊まれる。もちろん私の部屋とは違う階だろうが、室内も地区もよく知っているから、久しぶりに泊まってみるのもいい。ホテルや旅館と違う仕組みを理解し、ふさわしいマナーを知り、上手な楽しみ方が普及するには時間がかかるだろう。しかし、ローマや京都では、こうして旅人が隣近所で泊まっていることがやがて当たり前になるのかもしれない。その反面、私の実家のある三ケ日は浜名湖沿の景勝地なのだが、AirbnBは全くない。空家は多いのだが需要がないのだろう。

 この違いは、現代の日本の根底にあるより大きな較差に起因するものだと思う。民泊を探してまで行ってみたい、暮らしてみたい町と、誰も見向きもしない町がある。昔と違い、その土地に縛り付けられている人は減った。選ばれない町からは人が去り消えていく。民泊が増える町では、消滅自治体の心配はない。

2016.9.1