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京町家再生研究会

ジョグジャカルタ訪問

<末川 協 (京町家再生研理事)>
 前号の京町家通信ではアジアヘリテイジネットワーク・バリ会議の報告を行った。今回は、京町家再生研究会が、国際交流基金の助成を得て行っている市民交流事業「町家から創造都市へ」〜アジア伝統文化の創造の協働作業〜で訪れたインドネシア、ジョグジャカルタ視察の概要をレポートしたい。


チョデ川沿いのラトマカン地区

タマン・サリから臨むジョグジャカルタの町並み
 ジョグジャカルタは京都と同じ、かつてのジャワ島の王都であり、素焼きの赤瓦の家並みが続く美しい歴史文化都市である。オランダの統治時代のコロニアル様式の建物も見られ、投宿したインナ・ガルーダホテルもその一つ。日本の占領下にあった時代には日本軍の司令部も置かれていた建物だそうである。当地ではガジャマダ大学で教鞭を執られるシタ先生とそこの学生であるエコ君のコーディネートで文化財や町並み、伝統工芸の工房の見学を行った。シタ先生は京都大学建築学科三村研究室に留学されていた親日家である。1月4日の夕刻に関空からジョグジャカルタに到着、空港に降り立った宗田先生が、国連職員であった青春時代の思い出を感慨深く語られた。

 翌日は、ホテルから目抜きのマリオボロ通りを歩いてクラトン(王宮)の見学へ出かけた。各地の諸侯がサルタンの元に集い、それぞれの衣装をまとい、花飾りで覆われた御輿を担いで練り歩くお祭の映像が興味深かった。ご町内ごとに華を競う京都の祭りを思い出させた。午後には市内を流れるチョデ川沿いのラトマカン地区を訪ねた。上流のメラピ山の噴火で氾濫を起こした地区の護岸整備や、川沿いの建物の町並み再生が宗田先生の仕事だったそうである。共同のキッチンや便所を分け合う人懐っこい子供やお年寄り、軒先で飼われる鳩や軍鶏、堤の上に並べられた盆栽、カンポン再生の集合住宅の1階に設けられた卓球場など、通り一遍の観光では触れられない下町の暮らしを垣間見ることが出来た。晩は有名なワヤン・クリッ(影絵芝居)の観劇に出向いた。

 3日目は世界遺産であるボロブドゥールを訪ねた。史跡公園として整備されており、内外多くの観光客が訪れていた。仏教遺跡であるが、お参りに来ている人はほとんどない。国内外の観光客で入場料に大きな差があり、外国人は20$、京都の寺院や史跡の拝観料との差が印象的であった。残念ながら実際の修復作業は行われておらず、その見学は出来なかった。昼には農村の中にある焼き物の集落を訪ねた。素焼きの素朴な水甕を、藁を積んで屋外で焼く。伝統工芸が日用品として生きている。昼食を取ったキノコ専門レストランの水路ではフィッシュセラピーが出来た。足の皮が無数の魚に食べられる、くすぐったい感触は忘れがたい。途中プランバナン寺院を訪ね市内に戻った。晩にはスルタンの襲名式の飾りつけの見学に出向いた。折しも翌日にそれが行われるとのこと、王家と近しいシタ先生がパレードの馬車や、街路に林立する花飾りのアレンジをされており、その作業の現場を見ることが出来た。ガジャマダ大学の大学生が何人も手伝いに来ていた。エコ君曰く、「伝統工芸や美術には、あんまり興味はなかったのだけど、シタ先生おかげですっかり伝統派になりました」。その晩は徹夜の作業だったそうである。


コタゲデの伝統的な都市住宅

バティックの型板
 4日目はタマン・サリ(水の離宮)を訪ねた。18世紀に建てられた王家の建物だが、近年まで放棄され、市井の人々が住居としていたそうである。それをシタ先生が都市遺産として整備してこられた。まだ修復途中の建物や庶民の住宅とイレコになっている部分も多いが、生きている歴史都市の一部として闊達な印象だった。近くの影絵人形の工房を訪ね、歴史的な街区が残るコタゲデに向かった。町並みの保存が行われており、ジャワ島の伝統的な都市住居の再生が行われている。町家と同じ、奥に長い地割は塀と建物で区切られている。接客空間として使われるペンドポは、壁の無い正方形の入母屋の建物で、その奥にジョグロという住居が控える。ペンドポはチーク材を用いた伝統軸組の建物である。2006年の地震で積石造のガンドク(ペンドポ右手の付属屋)が倒壊したが、ガジャマダ大学が購入し、地域活動の拠点として再生を図った。地域には、古い建物が多く残るが、未だ地震で倒壊したままの建物も見受けられた。地区の中の銀細工の工房を見学し、近くのブティックホテルに向かった。そちらの建物は伝統的な都市住宅のプランにコロニアルの意匠が混じった立派な建物、20世紀初頭の築造で、現オーナーが買い取り、ジャカルタから職人を呼んでホテルとして再生された。ペンドポはそのままに、ジョグロには6室の客室、ガンドクはショップとギャラリーに改装されている。綺麗に手入れされた池や緑に囲まれたペンドポで夕食を頂き、「歴史都市京都の保存と再生〜その観光の発展と変化〜」の題目で宗田先生が講演をされた。

 最終日の5日目は、郊外のバティックの工房を訪ねた。築75年を経た施設で、ろうけつの型板でのプリント、染め、ろうけつの手描き、ろうけつの除去、手縫いやミシンでの製縫など、老若男女の職人が作業を分担していた。壁一面に掛けられた型板は、それぞれ決まったモティーフに分かれ、京唐紙の版木を思い出した。さらにシタ先生の母上がオーナーのインディゴ染めバティックの店を見学できた。

 以上の行程で視察を終えた。職人や専門家間の交流、討論、さらに創造への協働については今後の事業のテーマとなる。5日間、案内してくれたエコ君は京都に留学の目標があるそう、若い専門家として京町家再生の実務に触れ、今後の協働へのキーマンに育ってほしいと願う次第である。
2016.5.1