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京町家再生研究会

活用と再生ーアイスクリームと祇園祭からこの夏考えさせられたことー

丹羽結花 (再生研事務局)

◎町家と出会う

 「おくどさんみたいなのがあるんやけど、つぶしても、バチ、あたらへんやろか」再生研本部に唐突に電話がかかってきたのは2013年の春。小島理事長はあっさりと「もちろん、あたります。つぶすのは待ってください。」と答えたそうだ。幹事数名で見せていただいたところ、表は現代的なデザインの喫茶店で、町家らしさは感じられない。しばらく前に閉店し、表のガラス戸からは詰め込まれた家財やゴミが見える。中に分け入って進むと、確かに使われていないおくどさんがあり、その奥のニワサキには立派な石がすえられている。さらに奥にはしっかりとした蔵が構えている。大幅に改造され少々荒れているものの、敷地内には町家の基本がそろっていた。「庭の石を出すのが大変、と解体業者にいわれて見にきたら、結構いろいろあるみたいやから、つぶしてもええんかなあ」と不安を感じ、ホームページを見て、電話をしてくださったという。

 当人は町家とそれほど深い関わりがあったわけではない。十年ほど前、元の持ち主が「退職して喫茶店を始めたい」という友人に貸して改造した。モダンな町家改修事例として紹介されたこともある。私も本屋さんで買い物したあと、何度か訪れたことがある。ちょっとカーブしたソファ席があり、新聞を読んだり、常連さんが店主と会話を交わしたりする普通の明るい喫茶店であった。諸般の事情から閉店し、持ち主も手放すことに決めた。知人として買い受けたのが電話をくださった当人である。まちなかである程度面積もあるため、ビル建設用地としても使えるという考えで引き受けたそうだ。新しい建物の設計図面もできており、銀行と資金の話も決定ずみ。さあ、解体となったところで、「ちょっと待った」ということになった。

 きちんとした町家として残すことができることなどを伝えたところ、「わかった。つぶすのはやめる。」とこれまたあっさりおっしゃった。こうしてこの町家はすんでのところで残ることになった。ちょっとしたひっかかりから町家や再生研に出会い、町家所有者が生まれた。町家の価値を知るきっかけは町家の存在について共感を覚えることに尽きる。

◎町家で○○

 その後のいきさつは「作事組の改修事例」をご覧いただきたい。「町家でアイスクリーム」という組み合わせももはや驚くことではないだろう。以前の喫茶店の面影はなく、別の、町家ならではの明るい空間が広がっている。元の姿に戻って落ち着きを得たようだ。基本的にはセルフサービスなので、入ったところで注文して、できあがったアイスクリームを受け取り、はきものをぬぎ、畳に座っていただく。ちょっと身動きがとりにくいところもあるが、座ったあとはゆっくりと楽しめる。(もっともアイスクリームが溶けてしまうからあまりゆっくり味わう、というわけにはいかない。)私が訪れたときは女性客二人連れが数組、あちらこちらで明るいおしゃべりを続けていた。町家にふさわしいサービスのあり方や器、トレイなどの小物を工夫すれば、より使い勝手もよく、楽しめるところになるのではないか。町家でのふるまいについて、使う側がきちんと理解していけば、町家として生き続けることができる。

 再生研はこれまでさまざまな新しい試みをおこなってきた。初期改修事例「セカンドハウス」はその後の町家再生のモデル、町家ブームへの始まりであった。だが、本来の町家再生の意義や趣旨が行き渡っていないという苦い思いを私たちは持ち続けている。今回もどういうふうに使っていくのか、いろいろな業者が興味を持ち、契約に臨んだようだが、結論に至るまでかなり時間がかかった。経済性が第一義になるのはしかたない。しかし、重要なのは決定に至る過程であり、所有者と使う側が出会い、町家の使い方を学び、お互いの価値観を理解するところにあるのではないか。

 「セカンドハウス」では、奥に住みながら表貸しという従来のあり方を踏襲し、新しい表屋の使い方があることを提案、とりあえず町家として維持することを第一義とした。「町家でパスタとケーキ」という新しい業態や儲かる仕組みを作り上げることがねらいではない。最初に相談があってから2年もの歳月が費やされ、その過程で、町家として使い続けて行く気持ちを理解し、実現できるパートナーを得たことが最も重要なことだったのである。だからこそ、その後、時が経つにつれ、何度も使い方が変化しても、町家として生き続けている。その布石をうったことが、再生研として大きな成果だったともいえる。ある町家が誰とどのように出会うのか、その場をつくり、町家がその後も生き続ける道筋をつけることに再生研の役割がある。

 最近、町家をめぐるさまざまな問題が「活用」ありきで議論されてはいないだろうか。本来の再生とは、町家そのものの木造家屋としての価値を認めることから始まるものであり、経済的な利用価値があるから残すというものではない。もちろんネックとなっているもののひとつ、そして大きな理由は資金の問題であるが、だからといって、資金力があり、もうける手段を持つ業者が町家の価値を経済的なものとみなして使いこなすことは、町家のすぐれた活用なのだろうか。安易な改修、文化の読み違いが平気でおこなわれ、町家そのものの価値が損なわれながら、活用事例として注目され、手段として広がっているという事態に危機感を覚える。冒頭の事例は数年前、モダンと思われた活用から、今回本来の意味に近い再生へ、文字通り生まれ変わることができた。業者が対応するスピードは速いが、公共性は乏しい。残ればよいという時代は終わった。町家、ないしは町家改修が一般的になるに連れ、その内容は大きく変化している。消費財として扱われている現状を打破することがこれから必要となる。

◎祇園祭に関わる

 再生研の活動は一頁の祇園祭後祭の復活にも少なからず影響を与えている。初期改修事例のもうひとつの代表でもある橋弁慶山町会所は、それまで町会所の改修といえばビルへの建て替えが当たり前となりつつあるなか、「約300年前の町屋の姿のまま改築される。町家保存のユニークな手法として注目される」(注)。だが、これはユニークな、つまり唯一、珍しいものではなく、その後、八幡山の町会所と表屋の改修へ続き、船鉾においても町会所を元の形に戻し、蔵もしっかりと修繕することができた。本来の姿に戻すという後祭の復興と同様、町会所のあり方について旧来のすぐれた町家を保全再生するという方向への転換となった。山鉾関係の大切なものを保管し、飾り席を整える、その基礎部分を支えてきたのである。鉾の通る道として新町通の景観にも寄与している。これらが山鉾構造調査にもつながり、大船鉾の設計に関わるきっかけにもなった。釜座町町家の改修が、もうひとつの休み山、鷹山の復興の機縁になれば、さらに喜ばしいことである。設立当初から希望していた地域に密着した活動にもつながっている。

 祭の中心である山鉾や懸装品、巡行という行事はもちろん重要だが、支える躯体、管理する蔵、見守る町並みが一体となって、祇園祭を作り上げている。それぞれがきちんと役目を果たしているからこそ、総体として私たちは京都や伝統の力強さ、奥深さを感じることができる。

◎住まいとしての町家へ

 ひるがえって町家の本来の意義とはなんだろう。「町」なかの「家」なのだから、基本は住まいの器である。高温多湿、底冷えのする京都まちなかにできるだけ気持ちよく住むため、先人が苦労して積み上げてきた知恵の集積。それは近代化の「発展」のなかでも懐の深いところを見せ、あらゆるものを飲み込み、消化し、住まいとして成り立ってきた。近年、現代生活のなかでほころびとして出てきている面もあるが、私たちはその過程を未来への通過点としてもっと重視すべきであろう。現代の価値、とりわけ経済的なものに振り回されて、本来の価値を見失ってはいないだろうか。またその価値に気づき、共鳴しながらも、多くの人々に理解してもらえるような活動を十分におこなえているのだろうか。

 とはいいながら、「町家は職住一致に意義があるし、通気しなければ維持できないし、勤め人には無理だし」と消極的な繰り言をこぼしていると、ある住み手は次のようにおっしゃった。「家なんだから。そこに帰ってきて、ご飯食べて、寝るところ。安心して手足を伸ばせるところ。難しく考えなくても住めます。」活用ありきではなく住まいとしての町家をとりもどすための課題の一つは町家に住む快適さを再考することである。なんでも便利にして、今の暮らし方を詰め込むという方向ではなく、現在、そして近未来のシステムをも許容する町家の特性を見いだすことはできないだろうか。単身者も通勤者も若い人も高齢者も誰もが住める町家にすること、それは若者にうける空間、フローリング、高齢者に必要と言われているバリアフリーなどという目先のこと(とりわけ設備)ではない。今後の可能性にむけて開かれているもの、すなわち住み続けられる町家への道筋を見いだすことである。もちろん、もう一つの課題、住み継ぐためのシステム、資金面や制度面の工夫がある。少子高齢化の時代、他者に引き継ぐ形を確立し、新たに住む人たちと一緒に町家にふさわしい暮らしを検討しなければならない。

 正しいと信じるやり方を実践することがまず必要であり、正しいことは理解され、それらによって自ずと社会は変わる、なんていう幻想も捨てなければならない。どんなに魅力的な事例を提示しても、ミスリードされ、悪用されるのである。改修事例が地域に波及する前に、その隣接でマンションの建て替えがあり、私たちの目の前で安易な改修がなされている。

 NPOの立場を明確にして、出会うひとたち、出会う町家のひとつひとつと愚直に向き合い、純粋に根底にある大切な価値観を説き、そのあり方を多くの人たちに理解してもらえるように伝えていくことが必要であろう。そのための企画を事務局として(泣きたい気持ちになることもしばしばであるが)続けていかねばならないと考えている

というわけで、今年度後半は以下のことに取り組みます。特に人的なご協力をよろしくお願い申し上げます。
  • 若い人たちを対象の中心とした、改修・設計に関する講習会を開催します。
  • 昨年度来おこなってきた構造関係の勉強会の成果を公開します。
  • 明倫学区を中心に、地域の方々の声を聞き、これまで培われてきた生活の知恵を集積し、次の世代へ生かします。

注:
京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課編『写真でたどる祇園祭 山鉾行事の近代』京都市文化財ブックス第25集、「祇園祭山鉾行事近現代史年表」ここでの町家はちょういえ、すなわち町会所のことであり、それと区別するために町屋という表記が使われていると思われる。


2014.9.1