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京町家再生研究会

京町家の改修を建築基準法からはずす——深草町家の改修

松井 薫(再生研幹事)
 平成24年4月から京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例が施行されることになり、この条例の適用第1号として深草の町家の改修にたずさわった。
 条例の内容としては、景観や文化的な面から特に重要とされる町家については、保存活用計画を作成し、それが一定の安全性を確保できていると判断されれば、建築基準法の適用からはずそうというものだ。
 今回の深草の町家は、伏見区深草の本町通り沿いにある文久元年(1861年)(工事中に棟札が見つかった)建造の、築152年という厨子2階の母屋とそれに続く離れ、道具蔵(明治24年の棟札がある)、米蔵、それに南隣との間の通り土間ともいえる建物などで構成されており、母屋は3年前までは宇治茶販売の店として使われていた。これを何とか保全活用したいとの思いから、さまざまな人の協力を得て、龍谷大学が町家キャンパスとして使用する方向が見えてきた。今回の条例を適用せず従来のままであれば、兼用住宅から大学への用途変更となり、町家として改修するのには多くの困難な問題(建築基準法の問題点)が予想された。

●三歩進んで二歩下がる
 元来日本の文化の継承の仕方は、盆踊りの足さばきの如く「三歩進んで二歩下がる」だったと考えている。新しいことを取り入れる場合も、うしろをふり返り、この方向で間違いがないか確かめ、行きつ戻りつしながら徐々に新しいものを取り入れていった。京町家の伝統構法といわれるものも長い長い歴史の中で、まさにそのようにして形作られてきた。
 江戸から明治への大きな移り変わりで、西洋の技術の考え方や技法が入ってきたときも、新しいものを取り入れるのに過去の技術を振り返りつつ少しずつ変化していった。それが昭和25年の建築基準法でぷっつりと切られてしまい、それ以後は後ろを振り返ることなく、ただ前へ前へと法制度が進み、京町家のように建築基準法制定以前からある建物にも、何の脈絡もなく適用される状態になっていた(これが京町家にまつわる法制度のいちばんの問題だった)。それが今回の条例によって見直されるのではないか、というかすかな希望を抱いて今回の試みに取り組んだ。

●町家の底力
 一般的に構造解析等の工学的知見は、社会的・歴史的文脈から分断している。一つひとつの建物にこれをあてはめる場合、そこをつなぐものが必要である。それは物語であろう。土地の歴史や地域にまつわる物語であり、そこに居住していた人の物語が、建物の改修計画に編みこまれてこそ、京町家としての魅力が存続できる。また町家という生活装置の本領を十分に発揮するために必要な、生活作法ともいうべきソフト部分もあわせて考えておく必要がある。「表立っては見えないが裏にひそんでいて、それがあるからこそ安定した京町家の生活が営めるもの」を導き出すような仕掛けを仕込んでおくこと。装置でいえば井戸の復活、おくどさんの復元、トップライトの活用など。そしてこれに付随する井戸から水を汲む方法、薪で煮炊きする技術など生活の基本技術。これらは現在都市レベルの巨大な機構で供給されている水道、ガス、電気などがたとえなくても生活が可能な装置及び技術である。現代の生活では使うことはないかもしれないが、これらを備え、使えるようにすることが町家の底力であろう。
 町家の改修設計にあたっては、この「建物に土地と人の物語を編みこむ」こと、「町家の底力をひそかに仕込む」ことを常に考えるようにしている。

●いくつかのとまどったこと
 今回の深草の町家の場合、まず景観重要建造物指定をうけるべく条件を整え、必要な修正工事を先行して行い、景観重要建造物指定を受けた後、学校としての保存活用計画(構造上、火災防止上の安全性のチェック)を作成し、これが建築審査会で承認されれば、はじめて改修工事を開始することができる、但し、消防法はこの流れとは関連なく別途規制があり、古い建物にも現行法規が遡及適用される、というものだった。実際に持ち主や今度使用予定の学校、行政の各セクションとのやりとりをはじめると、慣れていないせいもあるが、だんだんフラストレーションがたまってきた。思い返すにそれは次のような点である。
@同時進行で進めてもらったので、随分早く進んだのだろうけれど、常に工期が迫っている中で多くの部門とのやりとりを進めることとなった。
A景観法、建築側の構造チェック、保存活用計画の考え方、消防法の規制など、各セクションの観点の違いと持ち主、学校からの要望の調整に終始して、設計者としては改修設計という行為をあきらめ、思考停止せざるを得なかった(施工管理者としての要件が求められることが多かった)。
Bその結果、本当に町家の良さ、美しさが十分反映されているとまではいえず、使い方や日常管理の方法に心配な点が残った。
まあ、個人的には自分の思いがあまり実現されず、納得のいかないまま、法規制に従わないといけなかったからイライラしたわけで、そんなことおまえのわがままにすぎない、社会的な活動なんて多かれ少なかれみんなそうよ、ということかもしれない。
 今後、この条例がさらに使いやすい形で運用され、若い町家の棟梁たちが気軽に使えるようになれば、分断された京町家と現行法規との間を行きつ戻りつできる橋となり、残すべき町家、活用すべき町家の保全再生に寄与することになるであろう。そうなることを切に願っている。

 
2013.5.1