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京町家再生研究会

大型町家の用途変更・その2

末川 協(京町家再生研究会幹事)
 京町家通信に大型町家の用途変更について拙文を載せていただいたのが、ちょうど一年前のこと、相談を受けていた大店の町家の宿泊施設の従前の営業許可申請に指導があり、その手直しの方策、町家本来の姿を守りながら営業を再開する方策を探っていた時である。すでに行なわれた工事や、現行法規の枠組みは如何ともしがたく、政策論からの救済策を模索していた。京都市全体での町家の存続、大型町家の用途変更の課題、(許可の有無に関わらず)町家宿泊施設の安全責任の所在と担保に、現実的な代替案をつくる方策を考えていた。

@町家の存続には改修と利活用が同時に求められること
A町家の用途変更手続きの到達点と100uを超える課題
B作事組監修物件、無認可の物件も含め、町家の宿泊利用の状況整理
C職住一致の評価、ソフトの評価が現実の町家の宿の安全を担保する論拠
D現実に京都で引き継いだ町家の存続に取り組む人々を応援する論拠
E応援する手法として100uの用途変更の枠を段階的にはずしていく方途

 以上を77号の論考に書かせていただいた。
 大型町家の保全について京都市建設局と再生研事務局の話し合いがリアルタイムで行なわれた。
 それからの一年、市での町家の存続を巡る法的な環境整備は、ずっと本質的に進んだ。CDEで思いついたような運用の方便は必要なく、今春より「京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例」が施行され、町家を含む伝統構法の木造建築が建築基準法の適用除外となる道が開かれた。保存活用計画の中での特殊建築物への用途変更の判断基準も示された。

 そんな流れを知らぬまま、乗り慌てた感もあるが、上記の町家の宿泊施設については、違反部分の是正に取り組むことと、用途変更において建築基準法を準用すること、それぞれのテーブルの上で、半年にわたり所轄の担当と相談や検討する事が出来た。技術的な課題やハードルは、かなりの部分で共有や整理が行なえたように思う。京町家ネット内には多様な意見があるだろうし、先行する改修事例も様々あるが、当事者としては、町家に即して現実的な議論を頂けたと感じている。

 今となっては同じ時期に、自主条例の基準が所轄の中で検討されていことも忌憚のない議論の後押しになったように感じられる。建築基準法の適用除外のための仕組みつくりと、違法行為の是正とは入口も出口も違うが、大型の町家や、特殊建築物となる町家の保全活用を巡る法的、技術的な課題には共通の項目も多いはずだと思われる。条例が施行された今からは、審査会の手続きに正面からぶつかって、町家の構造性能評価に正面からぶつかって議論が続くことを願う。

 この一年間の流れのなかで、町家の再生実務に取り組む実務者の責任も浮かび上がってくる。京町家の存続のために此処まで条件の整備が進めば、現場と所轄のキャッチボールは十分可能で、おそらくボールは手元にもある。大型の町家の存続や特殊建築物への用途変更についてはことさらである。「町家は不適格建築」→「町家改修は居直り違法行為」→「営業許可申請のイカサマもありあり」。町家再生の錦の旗の下、まかり通ったかに見えた短絡的な「創意」も「工夫」も短期間で役割を終えそうだ。あたかも当事者や代弁者であるかのフリをしながら、それでいて合意形成の手続きに真面目に向かえない人に足止めされる必要はない。無知な大声を出すほど、無駄以上に現場の信頼を失わせる。

 そしていつも同じ結論だが、営業許可基準や設備基準を満たすことが、建物への安全・安心を担保することと必ずしもイコールではない。初期消火や避難誘導の担い手が不在の宿泊施設で、誰が危機管理や結果の責任を果たすか。これも加担する技術者の常識判断の責任内である。さらに現場ではいつもいつも同じ結論、町家を取り巻く伝統構法には個人の一生で学びきれない技術の深さがついて回る。

 25年以上前、香港に滞留した時のこと。半島側の重慶マンションで過ごした。メインストリートに残されているバベルの塔のようなビルである。近年のように綺麗になる前だ。毎晩宿に戻る時、迷路のようなエレベーターを探す時、十数階の1.5帖のダブルルームでの収納ベッドを降ろす時、シャワー兼トイレから換気孔兼パイプシャフトの深さを覗く時、はかないバックパッカー気分を満喫する時に、京都の実家の安全や安心を思い出した。

 その後の修業時代。大師匠の二つ目の建築学会賞受賞作は、レンガ造の工場をホテルに用途変更。当時の常識でも難しい試みだったそうだが、施主と建築家が責任を持って取り組む意思表示を貫徹し、プロジェクトが実現したと聞いた。近代建築に保存活用の道筋を開いた事は確かであり、孫弟子ながらその逸話を興味深く聞いた。力技で近代建築をダンパーに載せる免震構造が導入されたのはバブル期以降のこと、近代建築の構造性能が解き明かされている訳ではないように感じられる。ふり返れば町家の構造、そもそもひとつ石に通し柱が載るだけ、その理解に至る以前に、その仕組みが含まれていると考えることも不自然ではあるまい。
2012.7.1