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京町家再生研究会

『景観白書』と『京町家白書』、来し方の記

宗田好史(京町家再生研究会理事)
 2007年の京都市の新しい景観政策を検証した『景観白書』が2011年3月に発行されたのをご存知だろうか。この2月、白書のデータを更新した2011年度版が発表された。
 景観白書とは、2007年京都市議会2月定例会期中の3月に提出された「新たな景観政策の推進に関する決議」で「他都市をリードする新たな景観政策と位置付け、これによる経済効果も含めた政策の検証システムを構築すること」が求められたことに始まる。それで、翌2008年に「景観政策検証システム研究会」が発足し、2年以上16回の研究会と5回の作業部会を重ねた。景観政策の実施状況を確かめ、特に眺望保全とその効果を詳しく確認し、建築活動等への様々な影響を申請案件と業界へにヒアリングから把握し、アンケートを通じて市民意識への影響も確かめてきた。その成果をまとめものが白書である。そして検証作業は続き、毎年データが更新される。
 景観政策の効果を客観的に計量化することは難しい。しかし、アンケートで市民意識を尋ね、公示価格や建築統計から地価や建築着工数、分譲価格などの推移をしることはできる。同様に建築コストの増減を図ることもできる。しかし、経済効果を含めた景観政策の影響を計量することが本来の目的であり、そのため様々な統計から経済効果に関わる代理指標を探し、その推移に注目する。観光客数などが使いやすいが、もちろんそんな短絡的でいいはずもなく、経済活動への影響を探る指標の模索が続いている。
 景観政策の是非が議論されていた頃は、建物の高さや容積率を下げたら地価は下るという誤解があった。建築投資が規制のない隣接市などに逃げ、着工数が減るという誤解もあった。これらの誤解をもとに、建築産業に多大な影響が出るという誤った主張がされた。それが、未経験な物事に対する過度の恐れと無知ゆえであるとは思っていたが、白書の作業を通じて、これらの誤解は一蹴された。地価も着工数も下がっていない。規制のない大阪市や神戸市と比べて遜色ない不動産市況が続いている。しかし、景観政策の効果で上がるはずの地価は思ったほど上がらなかった。リーマンブラザーズ・ショックなど一連の不況効果で市場全体が沈滞したためである。
 新しい高度地区規制で既存不適格となるマンションの資産価値が下がることも懸念された。しかし、周辺にそれ以上高いマンションが建たなくなったため、中古物件が却って高値で取引されていることは知られている。加えて景観規制後に増えた質のいいマンションの値段は高くともよく売れている。そして、良い状態で管理されるマンションは資産価値が下がらないことも明確になり、住民の維持管理や修繕に対する意識が高まっていることも指摘された。宅建業界からは、中古物件の流通に際して、既存不適格物件をバックアップする仕組みが必要だと、今も主張されているが、その権利をどこまで守るべきかについては議論が分れている。
 景観政策実施直後には業界から、高さ規制で新規マンション事業の採算が合わないとか、 デザイン規制で施主望む建物が設計できず、取引しにくくなる等の暴言も吐かれた。そんな筈もなく、新景観政策に対応できない一部の技術の低い、遅れた業者が一定淘汰されたのだろうと思われている。
 一方、この間に町家の取引が増えていることも分っている。その価格も顕著な上昇傾向にある。白書には書いてないが、質の悪い取引が目立つようになり、町家再生や景観政策への便乗組を駆逐する必要も考えられるようになった。
 ところで、白書ではもちろん市民意識の毎年の変化を追っている。町並み景観が守られていると思う市民は、2009年に漸く5割を超えた。今住んでいる住宅や周りの環境には満足している、どちらかと言えば満足しているとの答は2010年に6割に達した。
 こうして、白書では過去の各業界の発言と市民意識のズレを克明に記録している。自社の利益を優先し、市民の望む街を壊す企業がいる。いい建物いい町並みを創る業者が報われず、不正直者が得をする商習慣が残る立ち遅れた業界があった。悪貨が良貨を駆逐していたのである。いい業者の真面目な努力が報われるためにはルールが必要、その重要な役割を果たすのは、もちろん行政の役割ではあるが、業界団体の自主努力も不可欠だろう。白書に記録された業界の声は、単なる無知では済まされない深い不信感を感じさせる。
 この記録が伝える内容は深い。我々がどのような業界を相手に議論を進めてきたのか。その誤解を一つ一つ解き明かした過程を振り返り、おそらくこれからも繰り返されるであろう、エゴを隠すだけの屁理屈を論破する力にしなければならない。
 正論は当たり前すぎて、世間の常識になった後に輝きを失う。景観政策も京町家再生も今となっては常識となり、後から参加した若い人々には、その主張にどれだけの苦労があったかを知ってもらえない悲しさがある。
 今年20周年を迎える再生研にも『京町家白書』が要る。「今後の京町家の保全・再生のあり方検討会」でも10年以上たった「京町家再生プラン」を反省する白書を書こうという議論が始まった。来し方を振り返り、我々に続く世代の人々にこれからも繰り返されるであろう無知と誤解を解き明かす術として伝えていかなければならない。その我々にも反省すべき点は多い。町家保存のための一方的な主張も少なくなかった。当事者である町家住民やその家族の事情、町家事業者の苦悩を十分に理解できないこともあった。悩んでいる人の悩みの深さを想像する力を持たず、ただ正論を唱えるだけで物事は解決しないという再生研20年の実践の積み重ねを整理し、記録する必要を感じている。
 これからの京都と京町家の姿は、過去の経験を着実に伝えつつ、その営みを賢く継承することから描かれてくる。多くの誤解を切り拓き、困難に見えた既存の制度を一つ一つ改革した実践力は思い付きだけでは備わってこない。深く学び、一つ一つ実証すれば道は開かれる。常識となった正論を疑わずにかかって、大きな過ちを犯す若者を心配する我々は、つい来し方を振り返る。例え老婆心と呼ばれようと、この世界はまだ不信に満ちていると思わざるをえない。

2012.3.1