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京町家再生研究会

歴史都市の景観政策への評価 ──ヴェネツィアから

宗田好史(再生研理事・京都府立大学) 
話題を呼んだ京都市の新しい景観政策も3年目となり、議論が大分収束してきた感がある。懸念された高度規制強化による地価下落、建築着工数減少は、大阪・神戸、そして名古屋などの政令市の動向と比べ、落ちていないばかりか、都心では下落幅がより少ない地点や、逆に値上がりした地点も出ており、むしろ好影響が検証された。周囲の高さが規制されたため、既存不適格マンションには買い注文が殺到している。また、手続きが不評をかった新デザイン基準も議論が深まり、屋外広告物規制は一般市民や観光客からの高い評価は当然としても、多大な影響を免れなかった広告業者の多くも歓迎している。本来の成果が出るのはこれからではあるが、8割の市民が支持しただけに、概して好意的に受入れられたといえる。

ヴェネツィアの屋並み


ヴェネツィアで開かれたユネスコの会議に招かれ、京都の近況を報告した。「創造都市:どんな歴史的都市景観を?」というタイトルの専門家会議で、2006年から7回も歴史都市隣接部の建築規制を議論してきた。ユネスコの世界遺産委員会では、自然・文化遺産の管理について6年毎の定期報告を、条約締結国に義務付けることを2006年に決めている。日本からも5年前に登録した紀伊山地の霊場と参詣道の保護管理計画を昨年策定し、今年の委員会で報告する。精緻な管理計画が必要で、広い範囲を登録した文化的景観は、特に個々の構成遺産の管理計画だけでなく、全体を対象とする包括的管理が求められている。
 文化的景観と並んで問題視されているのが、やはり面的な広がりをもつ歴史都市である。遺産の真実性・完全性が損なわれていないか、十分なバッファーゾーン(緩衝地帯)が取られ、その中で変化が問われる。具体的には、2003年の委員会決議で、その規制内容と管理計画の新しいクライテリアが示され、2005年5月ウィーンで開催された「世界遺産と現代建築−歴史的都市景観を管理に関する宣言」がなされ、同年にユネスコ総会でも「歴史的都市景観の保存に関する宣言」として採択された。
 この背景には、1980年代に欧米で進んだ民活導入のための規制緩和で、歴史都心の直ぐ外で高層建築を中心とする都市再開発ブームが起こったことがある。グローバル化した現在、急激に高層ビルが建ったのは東京だけではない、西欧の数々の歴史都市でも、保存地区に隣接する駅再開発等で随分建てられた。世界遺産では、ウィーン、パリ、ケルンで活発な反対運動が起きた。そして、東西統一がなった旧東ドイツの、ドレスデンのエルベ渓谷に掛けられた橋では、そのために世界遺産登録抹消が昨年の世界遺産委員会で決められた。それぞれの都市で市民が大論争を起こし、世界遺産委員会にも示威行動が及んだ結果、高層ビルを認めるか、世界遺産リストからの抹消かという選択を強いたのである。
 皮肉なことに、京都では駅ビルや京都ホテルの反対運動は、1994年に「古都京都の文化財」として17(大津市・宇治市を含む)が登録された頃には収束しつつあった。逆に一足早い「パリとセーヌ河畔」(1991年登録)、遅い「ケルン大聖堂」(同1996年)、「ウィーンの歴史市街地」(同2001年)では、規制緩和による民間都市再開発開始の時期とが重なり、大論争を巻き起した。この15年間、規制を強化した京都と緩めた西欧都市は逆方向に進んだ。今になれば、「なぜ京都では規制強化ができたか」と注目される。それは京町家再生研究会の取組みなどであり、様々な住民運動、そして京都市の英断ともいえよう。しかしその根底に、将来の都市のあり方、暮らし方に関わる価値観の大転換が起こったと思う。
 ユネスコ世界遺産センターは、今も都市保存の新たな取組みを求め、市民参加による適切な都市保存管理計画の策定を急がせる。1970年代に西欧各国で進んだ都市保存政策を、私は長い間学んできた。この歳になって逆に羨望される立場になったことに驚いている。
 もちろん、保存は早く始めた方がよかった。フィレンツェなどのイタリア都市は言うまでもなく、高層ビルが増えたとはいえ、パリやウィーンと比べても京都の現状が優れているとは思わない。しかし、景観法ができ、歴史まちづくり法で「京都市歴史風致維持向上計画」が策定され、京都では着々と歴史都市景観の保存・管理が進んでいる。
 会議では「創造都市」や「創造階級」をキーワードにEU都市の文化政策と景観政策に関する議論が続いた。1970年代の時代背景と、グローバル化が進んだ今の世界では歴史都市への人々の思いが大きく変わっている。不安定化した雇用、絆が失われた社会はEUと日本の現在に共通した課題である。東京と地方の格差も問題だが、東に拡大したEUの地域間格差も深刻化した。問題は、グローバル化の勝ち組にも決して明るい未来があるわけではない点にある。だから、足下を見つめ直し、歴史都市の形からその街固有の社会経済のあり方を見出そうという議論が続いていた。その都市固有の歴史の中に未来を拓く創造性があるはずだという、町家再生の論理と同じ論調が、EUの参加者から確認された。
 折から、カーニバルの余韻が残る2月のヴェネツィアは寒く、温暖化の影響とも言われる高潮(アクア・アルタ)が続いていた。しかし、暗く沈んだ美しい古都は、決して世界の中心ではなかろうが、今も世界中からの観光客を魅了していた。
2010.5.1