• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会

21世紀の京都創生とは!

宗田好史(再生研究会理事) 
 今、「京都創生」が話題になっている。長きに渡り叫ばれてきた京都の危機に対し、国家プロジェクトとして京都創生を図ろうという、重要政策課題として昨年度来京都市が進めてきた動きである。今年度は市に「京都創生推進室」が設置され、6月13日に京都市・府をはじめ商工会議所、観光協会、観光連盟、平安遷都1200年協会など10組織が中心となり「京都創生フォーラム」が設立された。前後して、自民・公明両与党と民主党それぞれに京都など古都を再生する議員連盟が設立され、活動を始めた。
  ところが、京都創生の意味がよく分からないという声をきく。国を挙げて京都に取組む体制をということが中心だろうとは理解できるが、財源なのか、特別法なのか、現行法改正でいいのか、いややもっと壮大な「京都創生」という名にふさわしい転換なのか、待ち続けた時間が長かったため期待は大きく、懐疑論者は最初から諦めムードである。
  京町家再生研究会でも「創生」と「再生」の違いは気になる。京都市まちづくりビジョンで「北部の保全、都心の再生、南部の創造」といっているため、南部と都心をあわせて「創・生」なる新語を創りだしたかにも思われる。
  とはいうものの京都創生とは壮大な課題である。維新後の明治の京都策、岩倉具視が死の直前1883年(明治16年)1月に出した「京都皇宮保存ニ関シ意見書」などに匹敵する、新たな時代を髣髴とさせるネーミングである。よく知られているように「東幸」の見返りの10万両の下賜金は、廃都の危機を乗りこえるため産業基立金に当てられた。基金は明治3〜10年に、勧業場、博覧会、製糸場、ビール造醸所、西陣織物会所などいなり、京都府第三代の北垣知事は明治18年に琵琶湖疎水の建設に着手し、交通、運輸、灌漑・飲料用水を目的としつつも、米国の水力発電を参考に蹴上の水力発電所を築いた。この電気が、明治28年には日本発の路面電車が走った。一方、西陣は明治6年にフランスに織工を派遣し、ジャガード織機を導入してもいる。
  また、岩倉具視の意見書では、即位・大葬などの「御大典」は京都の「宮闕ニ於テ古式ノ如ク」行うものとされ、伊勢神宮や神武帝(橿原神宮)の遥拝を復興させるとともに、古都京都では、賀茂祭(葵祭)や石清水祭の「旧儀再興」、葵祭の復活を提唱した。これは各地の神宮に詣でる戦前の修学旅行など、近代の京都観光の一つの源流になった。戦後、御大典と神宮遥拝は変わりつつあるが、平安遷都1100年に始まる時代祭とともに、葵祭はますます活発になった。こうして明治前半に建策されたハード、ソフト両面の京都策の数々が、産業と観光という二つの側面に京都の方向を定め、その策が今日の京都を形づくっている。
  岩倉意見書は、「皇国の聖地として京都は博物館の如く古を残し、文化国家の国民教育の見地から、国の文化的中心」と位置付けた。戦後も失われゆく美しき日本を代表する都市と理解され、市民には、時には誇らしく、時に重くこの京都像が圧し掛かっていた。そして、古都京都と産業振興策が往々にして矛盾するものであったがゆえに、特には深刻な対立を生んでいたことも事実である。
  21世紀の京都創生は、まずこの矛盾を乗り越えることから始めなければならないだろう。幸い現代の京都では、これを乗り越える意識が広がっている。行政中心のまちづくりを脱し、多様な市民活動が街を元気づけている動きは、その先端を走っている。市役所も開発主義を脱し、近年では「大学のまち京都21プラン」、「スーパーテクノシティ構想」など、大学と先端産業が京都の文化と融合し、ハイブリッド化し世紀を拓く理念を掲げており、産業構造の転換と市民社会の成熟を意識しつつ、政策の舵を切っている。
  京都創生研究会の議論では、まだ「景観・文化・観光」だけが中心にある。財政的な裏付けを求め、町家再生の動きを阻害する法制度の障害を取り除くことが議論されているだけ、また景観分野の大半は京町家再生でもある。町家の価値が理解され、再生研の活動が高く評価されたことは喜ばしいが、京都創生という課題を語るには今一度、この新たな世紀を見通した上で、京都の方向が議論されなければならない。我々の活動が京町家を中心としつつも、町家だけに留まらないように、京都創生は小さな議論に終わらず、より大きな変革の動きであってほしい。日本人の価値観を根底から変える力を京都が発揮する。そんな動きになるためには幅広い市民の力が要る。自信をもって暮らしている現代の町家住民の生き方が日本を変えるような創生策を考えてみたい。
2005.7.1