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京町家再生研究会
京町家再生研究会 活動報告

嵯峨狂言堂 修復再生の試み



   平成30年10月21日、嵯峨釈迦堂清凉寺境内の狂言堂で、国の重要無形民俗文化財「嵯峨大念仏狂言」の秋季公演が催された。2年間にわたる狂言堂の建物修理工事で、本堂東縁を利用した仮舞台公演が続いていたが、昨秋、工事が終わり、久々の本舞台での?落とし公演に地元住民や子供達、清凉寺団信徒の皆様、外国人を交えた観光客、伝統芸能を愛する市民が大勢集まり、錦秋の午後の観劇を楽しんだ。この日の演目は、嵯峨大念仏狂言の「愛宕詣」と「土蜘蛛」、お祝いに駆けつけた千本ゑんま堂大念仏狂言の「鬼の念仏」と「紅葉狩」の4番が、愛宕の山並みに向かって3方に開かれた新しい桧舞台で上演された。長年苦労して嵯峨大念仏狂言を守り育ててきた保存会の皆様も、遠巻きに若手演者の動きや、桧舞台の反響、観衆の興味深い表情等を観察しながら、復活公演の成功を心から喜んでおられた。

   このたびの嵯峨狂言堂修理事業と、私達、京町家再生研究会の関わりは、日頃祇園祭山鉾修理事業でお世話になっている、京都府、京都市文化財保護課から、嵯峨狂言堂を所有する清凉寺と、建物管理者の保存会をご紹介いただいたご縁によるものである。平成27年春先の事だったが、屋根の葺替と修理を考えていた狂言堂の破損状況調査を御依頼いただき、再生研の建築士と作事組の伝統構法技能者が共同して、大屋根瓦、小屋組、木軸と床下の柱脚、礎石まで、各部の腐朽や破損、不具合を徹底して調査し、報告書をまとめた。その結果、時を移さず、文化庁の補助金を受けて建物修理が実施される事になり、私達が設計監理業務の立場でお手伝いすることになった。平成28年11月1日に着手し、平成30年9月30日まで、足掛け2年半の工程で修復工事は完了した。

   この工事の中で、最も大切に守られた仕様は、伝統構法による復原的修理を、各損傷部位を半解体して、適切に実施できたことである。すなわち明治34年現在地に移築されて以降、数度にわたって行われた改修のなかで、後から補強の為に入れた鉄骨や、基礎周りの在来工法による不健全な修理箇所を撤去し、本来の自然素材や、オーセンティシティ(真実性)のある伝統構法を用いた修理を一貫して行う事が出来た。詳述すれば、不同沈下した巨きな花崗岩礎石を掘り起こしてコンクリートを裏込めし、根巻打ちして基準レベルに据え直し、その上に根腐れした通し柱を同種桧材で根継ぎして載せてゆく。在来工法によるボード壁は除去し、本来の通柱に竹小舞を編みつけ、土壁を塗り戻す。正面目付けの通柱と胴差、上部の大梁などを新しい松梁と交換し、隅木、ハネ木は一部新材に替え、全てのハネ木を調整し、軒先の茅負と、ホゾで緊結しなおして、柔構造の屋根架構を回復した。美しい縄垂れ曲線を描く垂木に野地板を張りなおして、その上に土居葺で下地修復をする。屋根瓦は、基本的に新瓦の桟葺としたが、大鬼瓦は原則として古物を再用し、破風飾のキツネ格子や懸魚も、既存品を保存再利用している。未指定建造物ではあるが、この様な地域の文化財として固有の価値を有する伝統的建築物を大切に保全修復してゆく事業に参画させていただけたことは、京町家の継承を目指している私達京町家ネットの活動目標に合致するものであり、とてもありがたく思っている。





   最後に、嵯峨大念仏狂言保存会の会長をはじめ、役員の方々、親子会員や活動を見守る嵯峨地域の皆様方には3年の長期にわたりお付き合い戴き有難うございました。修復されました狂言堂の建物、その中で行われる皆様の活動、また継承されていく大念仏狂言の御面、衣裳、諸道具、楽器類など、建築と伝統芸能および生活文化の間の諸関係について、つぶさに学ばせて戴けた事に深く感謝すると共に、嵯峨大念仏狂言の次代にむけてのますますのご発展をお祈り申し上げます。


<木下龍一(京町家再生研究会)>

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