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京町家再生研究会
小島 富佐江(京町家再生研究会理事長)

リセット


 あけましておめでとうございます。
 みなさまにはお健やかに新年をお迎えになられたこととお慶びもうしあげます。本年も京都の町家再生の活動にご協力を賜りますようお願い致します。

 京町家再生研究会は昨年7月17日に活動を始めてから25年という節目を迎えました。平成4年7月17日祇園祭の日に発足以来、四半世紀が経ちました。多くの方々のご支援とご協力を得てこれまでの長きにわたり京都の町家再生の魁としての役割を果たしてきたと自負しております。25年の時間とともに多くの調査記録、図面、報告書を始めとして、ブックレット、京町家通信、ニュースレターとしての京町家通信を出してきました。このたび25年のこれまでを考えるにあたり、京町家通信1号から5号を読み返してみました。
 
 1号は平成7年2月1日発行と記されており、あとがきにはその年1月17日の阪神淡路大震災のことが書かれています。当時の編集担当であった会員の磯野英生氏が西宮北口駅から新神戸駅までを、同じく会員であった布野修司氏とその研究室学生さんと歩かれた様子が記されており、激しい破壊と感じておられたことに加え、これが京都で起こったなら壊滅的な状況になることは明らかであると書かれています。あわせて、京町家の再生を目指す我々は重い課題を背負い込んだとされ、だからこそ我々は進まねばならないとの意思表明をされています。京町家再生研究会のはじまりは震災が大きくかかわり、木造の構造が課題となり、京町家の安全と防災は今も継続した大きな課題です。
 
 1号目の特集は橋弁慶山町の会所の再生でしたが、再生の設計を担当された大谷孝彦氏(前理事長)の丁寧な報告が特集として掲載されています。調査研究と実践を掲げた再生研の活動報告1号としての意気込みも感じられる記録です。再生研の祇園祭の会所再生に対する取組と思いは引き継がれ、その後船鉾、八幡山と続き、現在は大船鉾の会所の再生が進んでいます。また、忘れてはならないのが、京町家作事組・情報センターの事務局で、ここは釜座町の町会所として今もなお町内の大切な町家です。
 
 2号は室町の町家再生、3号は土壁の研究、4号はケーキ屋さんセカンドハウス東洞院店、5号は町家調査。それぞれ1年間の出来事と再生研の活動の履歴がでています。毎年繰り返し建築基準法への取組、防災、木構造については議論されており、それは25年を経た今も変わらず続いていますが、これまでの時間の経過と多くの方々の努力は本当に根付いてきているのか、しっかりと検証することも必要なことです。

 京町家通信創刊号(1号)の巻頭に「京町家とその再生」と題された堀江E郎先生(京都大学建築学教室元教授・京都建築専門学校校長(当時))の文章があります。その一文をご紹介して今年の始めの私たちの活動の礎としたいと思います。

 …前略… 次に、再生ということについて考えてみよう。一つは建築形式や技術という目に見えるもの、今一つは町家の存在を支える精神的基盤あるいは社会的環境といったものが対象となるだろう。いずれも「伝統」というキーワードが重きをなす。伝統を守る、とよく言われるけれども伝統とは継承されるものである。伝統というのは時間的経過の各時点における文化の歴史的蓄積を指しており、継承というのは過去に現在を加えて未来に残すことである。前代がそのまま次代に伝えられるのではなく、現代に適応する何物かが加えられ活性化されたものが次代に受けつがれることによって伝統は生き延びる。いま伝統といわれるものに何を加えるべきかが、これを重んじ未来に伝えようとする際の第一の問題点となるのである。…中略…
今さしあたって我々の当面する問題は、なお残存する個々の町家に対して迫りつつある変貌への圧力をどう受けとめどう解決すれば最善であるかという答えを探ることであろうと思う。個々の場合の条件はことごとく異なっており、共通の答えなどはあり得ないが、その考え方には一本の筋が通っていないと、解答は信条によらず心情による場当たりのものとなってしまい、結局次代に何の価値も残すことはできない。…後略…

 25年を迎えた今、この文章は重く、きびしいものです。町家再生という文化の継承を担うものとして、これまで溜まってきた澱をとりはらい、発足当初の「信条」を見直し、活動を進めていきたいと思っております。
 

2017.1.1