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京町家再生研究会
梶山 秀一郎(作事組理事長)

町家の枠組みの変換は足もとから
  多方面で枠組みの見直しが始まっている。ダムや堰による力ずくの河川管理から、遊水池などによる受容的な川とのつきあい方に。化石エネルギーから自然エネルギーに。ファストフードからスローフードへ。そして、中央集権から地方分権−地域主権というと地域が埋没してしまう、地域主権なくして地方分権なしという観点で−へ。いずれも思想的な不徹底さと分裂症的な取り組みにとどまる恨みはあるものの、そこで見直されようとしているのは近代的な考え方、やり方であろう。それは町家の枠組みの見直しも同様である。
 京都の中心部の町家は元治元年の鉄砲焼けで消失したが、ほぼ江戸時代様式の町家に建て替えられた。本格的な建替えが始まったのは明治20年以降のことであろうが、ご一新の嵐が吹き荒れるなかでも江戸町家が引き継がれたのは、町家の型式や暮らしが人々に支持されていたからである。しかし、西洋列強に追いつかんとする明治政府・内務省は、西洋並みの不燃都市を造らんがために、都市計画法を大正8年に発布し、市街地建築物法とともに翌年に施行した。後者に規定された木構造は西洋のそれであり、筋違は推奨にとどまったものの、土台、燧梁が義務づけられた。市街地建築物法は当時の6大都市にのみ適用されたのだが、これが、その後の地域性を斟酌しない全国一律の法・規準適用の始まりであるとともに、職方の内なる規準に対し、現場を知らない研究者や官僚が限定的実験や数式による、外なる規準を定める流れができた。元々西洋の地震のない地域で育った木構造の筋違などの斜材が、耐震要素であるはずもない。その中央集権的流れと勘違いは、1950年公布、施行の建築基準法に引き継がれ、筋違や固い壁で地震に対抗する日本の伝統構法にはない木構造の規準が確立され、基準制定時には既に数百年の歴史を持つ、伝統木造構法が既存不適格建築物にされた―既存不適格建築物とは基準が変わって、古い規準の建物が新しい規準に適合しなくなった時の規定であり、規準ができる前からあった建物を既存不適格としたのは明らかに誤りである。すなわち勘違いを重ねたことになる―。それは、95年の耐震改修促進法や、00年の性能規定の道具―ああしろ、こうしろと規定する仕様規定から自由にして、性能を証明すれば認めようという性能規定までお上が用意する矛盾にも気づかずに―とされた限界耐力計算法に引き継がれて今日に至っている。
 その経過がもたらした伝統木構造の危機に対して、一気に各方面から異議が出されている。国会では伝統(的)木構造を建築基準法に規定するための委員会の、委員の伝統構法を懐疑する姿勢や進め方に疑義が出され、国交省が委員会の見直しを約束した(09.11.19参議院国土交通委員会)。「これからの木造住宅を考える連絡会」はシンポ等で国会議院を巻き込む活動を続ける。「伝統を未来につなげる会」は木造伝統構法を適合化する施策を求める請願を国会に提出する準備を進める。作事組も「町家を守り建てられるようにする市民の会合」によって、京都市長に町家の法的適合化の要請をし(09.07.07)、「作・全・協」をもって、国に伝統木構造を合法化するための提言を準備中である。これらの動きが求めるところは、詰まるところ伝統木構造を職方(大工、設計者)や地域に返せと云うことである。しかしその要求は、なまなかな覚悟ではできることではない。そのわけの説明は後に送る。
 技術にかぎった流れを記述したのは職能上的確を期しやすいためであるが、むろん技術上の法・規準が変われば片付く問題ではない。町家の型式や構法が廃れた原因は、業と住の分離、家督相続形態の変化、地域自治の衰退、西洋的プライバシーや衛生思想並びに近代的合理性や快適性の追求、エネルギー転換や家電の普及、アメリカンライフへのあこがれなど多岐にわたる。それらも変わらなければ町家は守れないし建てられない。さらにいえば、それらを規定する法律や制度が変わったとしてもやはり果たされない。枠組みが変わるということは社会の根底から変わらなければならないからである。
 先ほどのわけであるが、「職方に返せ」と言った途端にわれわれは返り血を浴びる。外なる規準はわれわれを規制もするが、責任追及から守りもする。われわれは外なる規準に代る内なる自律的規準を備えなければいけなくなる。すなわち、しくじったら腹を切る覚悟がいるのである。「地域に返せ」も同様で、仕事が忙しいとか面倒くさいは通用しなくなる。したがって、われわれの法・制度を変えろと求める行為は、諸刃の剣であることを承知のうえで、上と下とを同時に変える目論見の要請や提言である。
 作事組の活動を通して先ほど揚げた方々を含め、他地域の活動グループと接する機会が増えた。彼らの多くが、住み手や市民の理解がない、ないしは住み手が見えないと云う悩みを抱えている。その点、京町家ネットは住み手や市民も作り手と共に活動するグループであり、その陥穽をまぬがれている。むろん立場の違いによる齟齬や軋轢はあるが、町家を守ることにおいて協働の関係が構築できている。作事組でいえば、より合法的な共謀関係のなかで、既存不適格建築物である町家を直して守っていく活動ができている。そして、町家の枠組みを変換するために、根底の暮らしや技から見直し、変えていくことができる機縁市民組織である。今後も、町家の枠組みの器と中味を同時に変えていく活動を、共に推し進めたいと思う。ふるえながら作るという職能的自覚を前提に、腹を切るという血なまぐさい話しを避ける仕組みづくりも含めて。

2010.3.1