• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会
木下龍一(再生研究会理事)

都市の緩やかな刷新を目指して

下京区の新しいマンション 
表側を町家風にデザインされているが、背後のヴォリュームはどうしようもなく町家を圧倒している。(写真:アトリエRYO)
  京都での町家再生が全国的に喧騒される中、京都市内で最近よく目に付く現象といえば、バブル経済が破綻した今も、高層のワンルームマンションが建設され続けていることと、伝統的町家街区にベッタリと繁茂する建売住宅の増加である。
 昨年6月わが国初の「景観法」が成立し、美しい国土の維持がうたわれ、それをひいて京都市は伝統的市街地景観の保全形成を目指すべく、条例整備を急いでいる最中であり、又数年前から京町家再生のためのアクションプラン21を推進中であるにもかかわらず、市中の町家は確実に減少し続けている。
 外部から見た総体的な都市景観は、戦災を受けた地方都市と変わらない、混乱したビル群の団塊と化しつつあるのではないだろうか? 市の中心市街地に2万数千棟の町家の存続が確認され、市民多数の賛意もあって、京町家職住共存地区整備ガイドプラン及び、京町家再生プランが採択されたと思っているが、実効的な伝統的町家に対する建築基準法の見直しや、都市計画法の容積率、高度制限のダウンゾーニングが実現しないままの状態では、具体的な施策の効果はあがらないのがまぎれもない実状のようである。居住者の町家改修に対する金融面での支援や、新築木造或いは賃貸住宅としての町家振興の試みも絵に描いた餅、市民の建築行為として未だ拡がりのある成果をみるには至っていない。
 ところで私は1970年代に数年間ヨーロッパに滞在した。フランスの国境に近いベルギーの古都、トゥールネで建築大学に通いながら、西欧の都市事情を見聞する機会を得た。当時1968年パリの学生革命直後の事で、ヨーロッパの都市計画の価値観が激変する時代であった。フランスでは1962年文化相アンドレ・マルローが保全地区制度を制定して、近代主義一辺倒の第2次大戦後の開発主義から、歴史的文化遺産としての建築や、それらが構成する都市組織(タピー・ユルバン)を、面として大切に保護する方向に改革がなされつつあった。都市の社会的文化的遺産を時を重ねた織物に例えて、タピー・ユルバン(アーバン・ファブリックス)と呼び、古い物を刷新してゆく折に、急激な開発を避け既成の環境を大事にしながら、徐々に実行してゆかねばならない事を訴え制度化させた。そうした流れは20世紀後半から21世紀へ至る過程で様々に姿を変えて、ヨーロッパの都市再開発の中心的思想として受け継がれている。
 例えばベルギー国内では1930年以前に建てられた建物は、所有者であっても特別な理由がない限り勝手に解体することは許されない。必ず建物を保存し、その建物の持つ歴史的価値にふさわしい保存再生計画を提出した上でしか改修出来ず、デタラメな修理や利益追求型の計画は認められず、公的認可が必要とされる。わが国の、建築基準法にさえ合えば何をしても良いという開発一辺倒の審査とは、全く立場が逆転しているのだ。従って滞在から30年程たった現在でも、トゥールネを始めヨーロッパの歴史都市の景観(石造や木造の如何を問わず)は殆んど変わる事はない。それでいて文化芸術活動は非常に活発で、同時代のトップレベルを競っているのが羨ましい限りである。
 京都は、伝統文化と美しい自然環境に恵まれた特質を、国の内外より評価されてきた古都である故に、現在までの建築や都市を管理する法制度の根本姿勢を変え、既存建築物やまちなみの歴史的合法性を尊重し、既存都市の建築形態や都市組織を緩やかに刷新してゆく方向を目指すべきである。今年の節分の日に、京都市景観・まちづくりセンターに於いて、再生研が企画した京町家再生セミナーで、明治から大正にかけて石塀小路を開発した上村常次郎の嫡孫にあたる栄一氏から、都市景観の形成と保全について貴重な話をお聞きした。石塀小路の景観は、界隈のまちなみ形成の歴史を踏まえた、一人の施主と一人の大工棟梁が、心を合わせて統一した考えで作り上げた事が大きな原因であること。その保全の為には所有者が大切に保持してきたと同時に、居住者が同調する共通の考え方を持つ必要があること。最後に戦災や天災による被害を被らなかった事をあげられた。石塀小路での火災は殆どなく、住民の自主防災活動が盛んであるという。市中の町家周辺の開発による環境変化が急激に行われる事なく、緩やかに連続したバランスで進められる様、市の条例が整備される事を切に願っている。

2005.3.1