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京町家再生研究会
梶山秀一郎(作事組理事長)

「京町家棟梁塾」やっと幕開け

座学(第2回)

現場学習・調査実習(第1回)

現場学習・電気の親方の話を聞く(第1回)
 京町家棟梁塾が始まった。これは町家を守り作る、技を再生し修得する、保全・再生を普及させる、と並んで作事組設立当初からの課題であり、唯一手つかずの活動であった。明治中頃まで続いた徒弟制度が果たしていた棟梁育成のしくみを、現代に塾という形で再生しようというものである。むろん前例はなく、初めから公募するのはどうかということで、作事組会員の跡継ぎを募集し、魁(さきがけ)として開始した。集まったのは大工5人、左官1人、設計3人である。彼らは未知の道程に踏みだす者としても、また後進の塾生のリーダーとしても魁である。年齢は29才から35才、実務経験年数は10年から15年であり、まさに次代を担う職人達である。
 今さら、棟梁塾なんてという疑問をもたれるかも知れない。堂宮や数寄屋で活躍し、棟梁と呼ばれる職人は現にいるじゃないかと反論されるかも知れない。しかしわれわれが考えている棟梁とは、明治初めに来日して、大森貝塚の発見者としても知られるモースが絶賛した建築職人のことである。彼はアメリカ中探しても見つからない優秀な職人が、日本中のどこにでもいて、地域固有の建築を作っていることに驚嘆しているが、さらに職人が伝統の技を上手にこなすだけでなく、未知の課題にも果敢に挑戦して、し遂げてしまうことに驚いている。彼らが飛鳥時代に寺院を、戦国時代にセミナリオを、明治に擬洋風建築を建てた職人であり、京町家棟梁塾が目指す棟梁である。
 塾では技は教えない。技は現場で自ら修得すればよく、現場は作事組が用意する。また技だけでなく何も教えない。なぜなら教えられたことは応用が利かない。自らが知りたい、覚えたいと思うことを、求めて掴んでこそ自分なりに整理された知識になり、覚えたことが体に組織される。塾はそのきっかけになる場を用意するだけである。いや、場づくりも塾生が自主的に運営する組織を作って決めていくように要請している。また、“だれが生徒か先生か”のメダカの学校にしようと言っている。学ぶ者だけで教える者がいなければ自ずとそうなる。
 具体的な塾課程は第一、第三木曜7時から座学として、『町家再生の技と知恵』をたたき台にして学ぶ。第二日曜に現場学習として、ひとつには作事組の改修現場で各職の親方に施工の要諦を学ぶ。ふたつには過去の優れた建築や庭を体験して学ぶ。みっつには茶や花などの建築に関連する分野を体験するといった内容である。
 既に座学2回と現場学習1回とを済ました。現場学習はたまたま相談のあった町家が、蔵を含めて数棟ある大規模なもので、その実測調査をする必要があったため、急遽予定がなかった午前中に調査実習として実施した。施主(相談者)と話をしながら、職人と設計者がチームを組んで行う作業は、施主と職人がやりとりをしながらの住まいづくりの再生、職能を超えて協働するという意味からも、棟梁塾の目指すところである。また塾生同士が知り合うよい機会にもなった。仕事が終わってから座学に駆けつけてきて、塾が終わってからもハシリや通りで─近所迷惑の配慮が必要だが─午後10時になっても話をしている。
 読者のみなさんにも住み手として、作り手として、あるいは趣味人として、メダカの学校に参加をお願いするかも知れませんが、その時はよろしくお願いします。またそれに関わらず京町家棟梁塾へのご支援ご協力をよろしくお願いします。
2005.1.1