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京町家再生研究会
松村 篤之介(友の会会長)

町家での住まい
 私の家は、比較的来客の多い家のようです。しかも時間帯は、昼間といい夜といい時間かまわずその都度、来客の時間に合わせた時間になります。また来客の人数も一人二人の時もあれば五,六人或いは十数人の会議の形となる場合もあります。当然のことながら家の座敷、客間での歓談になります。
 一方私の家は三世代同居です。小学校、幼稚園の孫を交えて暮らしておりますが、この来客時の家族の対応について書いてみます。
 木や竹紙土で出来ている町家、日本家屋ですから、来客の気配は家のどこにいても判ります。その時、先ず声、音について、テレビは消すか音を落とす、お互いの会話は決してヒソヒソ話調ではないが平素のものより自然とトーンを下げる、足音はドタバタ走らない,当然スリ足になる、静かにしているようで、決して聞き耳を立てない、盗み聞きをしない。
 どうしても来客の客間を通らなければならない時でも庭下駄をはいて走り庭から迂回するなどみだりに来客の部屋は通らない、それでも突然お客様と出くわした時はご挨拶をする。
 見ることについて、襖障子は案外姿形を通さない、ガラス障子も見れば見えるのだがわざわざ見ない、夏場の葭障子のごときは風を通すが明かりは通さない、明るいところから暗いところは程よく見えにくい、かくて見えるのだが気をつけて見ないでおく。
 来客のあった時、こうした気くばりを小さい時から経験をしてきたのが町家の暮らしです。私もそうしてきたし、現在孫も含めて家族一同そうしたわきまえを自然と身につけてきているように感じます。こうしたことは来客の時に限らず家族同士の間でも同様の心構えで動いているようです。
 最近洋風の建物は、確かにプライバシーの尊重という観点からは完璧に近いものになっています。時には子供たちにも一部屋ずつもらってドアを閉め切れば完全な自分の世界になってしまいます。果たしてこうした環境は、人の成長や人と人との接し方の学習にとって良いのでしょうか。今いろいろ起っていることをマスコミを通じて知らされると、考え込まざるを得ません。
 私は日本家屋、町家の暮らしが万能とは思ってはいません。しかし家族同士の住まいの仕方、来客を含め人間社会の人との接し方は、こうした声が聞こえ肌のぬくもりが伝わる範囲のものから教わることが大変多いのではないかと思います。完全に遮断された世界、成る程自分、個には立ちかえれますが、人と人との繋がりをどうして勉強するのでしょうか。
 人の気配を感じながら生活をする。人の存在に心配りをする。そのくせ自分を忘れない。こうした気持ちを持ち続けなければ町家での住まいは出来ません。このような過ごし方は、ある意味で現在の世の中で必要なのではないかと考えています。ご意見をお聞かせ頂ければ幸甚です。
 この「京町家通信」は京町家グループのネット連繋の格好の手立てとなっています。どしどしご意見、ご感想を持ち込んで頂き、そうしたやり取りの見える「京町家通信」になればと思っています。

2004.9.1