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京町家再生研究会
小島 富佐江(京町家再生研究会理事長)

観光と町

 6月上旬からドイツのケルン、イタリアのヴェネツィア、フィレンツェを訪れる機会を得た。いずれも歴史都市として世界的に有名な観光都市であり、都心部は古い町並みがそのままに景観を保っている。

 ケルン大聖堂で夜、ミサ曲が演奏されると聞き、行ってみた。聖堂の奥深く、内陣といえばいいのだろうか、祭壇にオーケストラのメンバーが並んでおり、すぐそばに椅子が並べられていた。少し早い目に行ったが既に行列ができており、瞬く間に内陣はいっぱいになった。聖堂での「コンサート」は折りに触れ開催されるそうで、私たち観光客にも開放されている。ありがたいことだが、「地元の教会に所属される方々はどんなふうにお考えなのだろう」とふと思った。

 ケルンから移動して、一転、夏空のヴェネツィアに到着。ビエンナーレが始まったこともあり、あちこち混み合っている。隣の島へバポレット(水上バス)に乗って行くことにしたが、いっぱいで2回も船を見送った。ぎゅうぎゅうに並んでいるとその隣にも別の船に乗る行列ができ、現地の人が同じように並んでいらっしゃる。仕方のないことと納得されているのかどうか、尋ねてみたい気持ちになった。

 フィレンツェはファッションウイークという催しで、大変な混雑だった。朝、大聖堂は入堂するのに30分待ち、ウフィッツイ美術館近くの広場も団体でいっぱい、入館は予約しないと30分から1時間待ち。レストランもよく知られているところはいっぱいで、次の候補を選ばざるをえなかった。まちなかはにぎやかで、おしゃれな人たちが夜遅くまで往来を行き来し、ホテルの部屋にいてもその喧噪は聞こえてきていた。

 フィレンツェのホテルの多くが古い建物をリノベーションしているが、千差万別。一流ホテルもたくさんあるが、まちなかには上層階(たとえば4階から6階)はホテル、下の階は事務所や店舗といったものが多く見られる。25年前にも泊まったことがあるホテルに泊まったが、ヨーロッパのホテルグループに入ったあと、内部が大きくリノベーションされていて、おしゃれではあるが、昔の面影はほとんどなかった。

 フィレンツェのまちなかには名だたるブランドが並び、かつてのまちなかの面影は薄れていた。私はフィレンツェの様変わりに驚き、25年前に話題となったジェントリフィケーションのことを思い出した。まちなかが整備されていくに従って、それまでの住民は外にでていき、新たな層が入ってくるという。その話を聞いたときには、それがいいことなのか、良くないことなのか理解が出来なかった。ヴェネツィアも観光客が集まるところはブランド街に変わってしまった。まちなみはそれなりに美しく守られているが、かつての街の雰囲気が薄れているのは惜しいような気がした。

 京都に戻り、あらためてまちなかを眺めてみた。祇園にはエルメスができ、四条通にはブランドショップが並びだしている。近年まちなかは急激に変わりつつあり、町家にもいろんな店舗が入ってきている。それにつれて家賃も高くなり、土地の値段は急激に上がっていると聞く。他都市や海外から土地を購入する人もあり、京都も世界の観光都市の仲間入りをしていることは間違いがないだろう。あちこちで展開されているホテル建設、またたくまにリノベーションされる町家のゲストハウス、混み合うバス、混雑する通りに日々うんざりとしているのだが、このような状況はいつまで続くのだろう。ジェントリフィケーションの波がじわじわとよせてきているように感じる。

 人の暮らしがあってこそ、まちは個性を発揮すると思っている。商業的な活用だけでまちが生き続けていくとは思えないし、それでは本来のまちの機能が失われてしまうだろう。誰のためのまちなのか。いろんな人が行き交うまちであってはほしいけれど、そのまちを維持していく住民が様々な我慢を強いられる、その我慢が報われることはあるのだろうか。

 不便が面白いと感じた過去のイタリア、観光客が快適に過ごせる今のイタリア、その変化の過程を京都がたどっていくのだろうか。観光で生きていくという自覚は私たちの中にも生まれてくるのだろうか。


2017.7.1