◆京町家コラム
第1回 土蔵と地震 望月秀祐 昔から大きな京町家には必ず土蔵が付いています。貴重な財産を火災や地震などから守るためのものです。 明治維新の4年前の元治元年(1864)のどんどん焼けといわれた兵火で、町家3万5000軒、土蔵1500棟が焼失しています。焼けずに残った土蔵は貴重がられ、当時わざわざ敷地を買い替えた人もありました。 最近、京都南部で小地震が頻発しています。なかでも、震源地が亀岡付近と報道され、気になっています。 天保元年(1830)8月19日の夏の盛りの午後4時ごろ、突如京都に大地震が発生しました。「京都大地震」といわれるもので、今から170年前のことです。震源地は愛宕山の北側の活断層付近、亀岡に近いところで、マグニチュードは6.5(兵庫県南部地震の11分の1のエネルギー)です。 この地震で、洛中の建物は大きな被害を受けました。そのときの記録を拾ってみますと、「三条柳馬場の武家屋敷、鴨居落ち、壁・大石灯籠崩れ、土蔵半分崩れ落ち、石の大きな手水鉢が移動した」とあり、今でいうと震度5(強震)ぐらいの地震でした。 この地震の大きな特徴は、土蔵の崩壊の多さで、「洛中の土蔵はほとんど役に立たなくなった」と記録されています。これは固い地盤と固い建物の振動周期が一致して共振現象を起こしたものと考えられます。土蔵が地震に対し必ずしも安全とはいえないことが判ります。 史上最大の京都大地震は、文治元年(1185)、今から815年前の東山五条坂付近を震源地とする地震で、マグニチュード7.4、兵庫県南部地震の2倍のエネルギーです。こんな大きな地震にも耐える京町家に再生することは大変です。それでも、私たちは京町家再生にピッタリの安価で合理的な耐震装置を必死になって探究しています。乞うご期待。 |