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京町家作事組
■第6回全国町家再生交流会in川越のご報告

 第6回目となる今回、初めて関東で開催されました。埼玉県川越市は東京副都心池袋から通勤圏内にあり、蔵造りの町並みが「小江戸」として観光客を集めています。開催当日も多くの人でにぎわうなか、各所で議論が繰り広げられました。全体会のシンポジウムにも各部会にも再生研、作事組、情報センターから多くのメンバーが参加し、重要な役割を果たしました。まず、2014年に開催された川越市景観シンポジウムに参加して、今回の準備にも尽力された木下さんの報告からご覧ください。(京町家通信第98号に掲載の論考も是非ご参照ください。)

開催概要
2016年2月6日(土)
第1部 全体会 川越都市景観シンポジウム
「町家大好き! 〜町家住まいの魅力と課題を考える〜」
  13時から15時30分 亀屋山崎茶店 茶陶苑

第2部 16時から18時30分 4つの分科会に分かれてパネルディスカッション
  • 第1分科会 町家の魅力と活用事例・再生への課題
    亀屋山崎茶店 茶陶苑
  • 第2分科会 町家と伝統構法 中央公民館分室
  • 第3分科会 町家再生における防災の考え方 喜多町会館
  • 第4分科会 町家再生を促進する流通のあり方 商工会議所
懇親会 19時から21時 小江戸蔵里八州亭

2月7日(日)
全体会 分科会報告及び総括 10時から12時
見学会 13時30分から15時30分

第2分科会「町家と伝統構法」

 第2分科会は、喜多町会館という一番街の北にある、川越独特の蔵造り町家を会場にして開催された。分科会のコーディネーターは、「木の家ネット―埼玉」の代表である宮越喜彦氏が務め、地元のパネラー4名と京都からのアドバイザー、パネラー2名の紹介と、テーマの現状課題や今後の町家再生の可能性について議論を進めるべく開会の司会よりスタートした。

 最初のパネラーは、地元の大工棟梁、綾部孝司氏から伝統構法を主体に、普段の新築町家の仕事ぶりと、既存町家の保守作業での伝統技術の重要性が、実例を通して丁寧に紹介報告された。木の家ネットのメンバーでもあり、地域の木を手で刻み、礎石の上に組立て、木舞竹を編んで土壁をつけ、地場産の板壁で囲う、几帳面な仕事を続けている姿勢に共感が持たれた。

 続いてほぼ10年前に実施された、川越一番街の重要伝統的建造物保存地区内にある、小林家住宅の蔵造り町家の修復工事の報告がなされた。設計を担当した奥隅俊男氏の、文化財調査報告書の図面や仕様書による説明があり、実際に施工を担当した加藤信吾老左官棟梁と、屋根瓦工事の杉本康則氏から、工事写真を見ながら入念な解説があった。川越蔵造り店の町並みを特徴づける黒壁と軒蛇腹、重厚な瓦屋根の上の鬼瓦を包み込む影盛が瓦の焼物ではなく、左官仕事で作られている事や、土蔵の壁に塗られた江戸黒の製法、そして本体の木造軸組構法や防火建具の仕様、瓦の葺き替え構法、古瓦の再利用法等について、全国から集まった職人や実務者が興味津々に聞き入った。

 その後、京都からの報告として、私から京町家ネットの活動を紹介し、釜座町家再生事例について説明した。そして京都では、建築基準法第3条1項3号(適用の除外)の規定による市条例施行以降、伝統構法に依拠する改修法が一般に定着し、京都市での「まちの匠の知恵を活かした京都型耐震リフォーム支援補助金」交付制度の利用が拡がってきた事、他方、京都市域での金融機関が、町家再生や空き家活用支援の為の低金利融資を一斉に始めた事を報告した。
 つづいて作事組の若手棟梁、大下尚平氏から京町家の伝統構法や大工の心構え、技術継承における棟梁塾の実践等の報告と、平成27年度特に多かった長屋の改修現場からいくつかの場面をスライドで見せながら解説が加えられた。隣から連続する構造材の不適切な既存処理跡を修復する事や、傾いたまま根継ぎ揚げ前をし、歪み突きができないまま各部を納める難しさ、あるいは、共有柱が蟻害に合い、界壁に大穴が開いた長屋の構造改修等々、文化財の修復と全く異なる京都に偏在する借家群の改修事例の報告であった。

 後半は、休憩をはさみ、非常に対比的に提出された関東と関西(特に京都)からの伝統構法の捉え方の違いについて、質問や疑問を中心に議論が沸騰した。「何故京町家は軽やかで、地震に対して揺れ動き、変位が大きくなる様作られているのか?」その疑問に作事組顧問の荒木正亘棟梁が明確に答えてくれた。京町家の軸組は胴着き、小根ホゾで組まれていて、大きな変位を許容する柔軟な接合を旨としている。一方、会場の蔵造りの店の架構を見てみても、全く180°違う頑強そうな木組みであり、関東の大工さんや実務者の皆さんも、「堅固に固める程良し」と思っている節がありそうである。しかしながら、伝統木構造の基本は、架構全体が震動し、接点を通じての力の伝達と、それによる各部材の変位は、材質や部材の寸法の違いはあっても、本質的には木造伝統構法として、通底するものの様にも考えられる。議論の中では、各地各場所により伝統構法の歴史と環境条件による違いがあるので、それぞれの場所での構法の特性をよく研究すべしというところで、分科会での結論とすることにした。

 ただ、同じ川越市域にあっても、喜多町の向かい側には、京町家に良く似た江戸時代に出来た、木造真壁切妻板葺屋根の町家が数軒残っているし、弁天横丁の裏長屋や本町筋の表借家も、京都の長屋に近いものが混在して存続している。又、蔵造りの町家にも、店蔵以外の住居棟やハナレ等にも、多様な伝統的建造物が存続している可能性がある。是非今後の課題として取り上げ研究を進め、町家再生の対象として大切に保全して貰いたいものである。私見を交えながらも、川越が向かう将来的課題が幾らか鮮明になろうとするところで、第2分科会は終了した。

<木下龍一 (京町家作事組理事長)>



第3分科会「町家再生における防災の考え方」

 伝統木造建築物の宿命とも言える火災への対峙、今日の建築基準法の制約や耐震補強による町家本来の伝統的形態からの逸脱の問題、旧来の地域コミュニティでの防災の考え方が希薄になっている課題等について議論を目指す分化会であった。

 始めに地元川越の守山登氏より、昨年6月に起きた菓子屋横丁での6棟が全焼した火災の報告とその後、地域を交えた再建計画の議論、自身の取り組まれる川越での町家の特性や改修プロジェクトの報告を行われた。次に酒井沢栄氏より、個別の歴史的な町並み保存と並行する防災計画策定の実務について、黒石市中町の事例などを紹介された。初期消火の重要性、全国一律の法規制の緩和の課題を挙げられた。次いで末川が現行の耐震診断では性能評価出来ない京町家の立体的な三角形のバネのメカニックと、地震時にそれが妻壁だけで全方向の力を受け止める仕組みを話した。京町家では火災よりも地震に対する備えが優先されていること、火災はソフトで予防が出来、地震ではそれが出来ないこと、過去の町議録の存在や、今日まで残る京都での夜回りや愛宕さんのお札の効用として、火災発生率の低さをお話した。最後の三浦卓也氏の話では、歴史的な街区での防災まちづくりにおいて、課題探しよりもまず魅力探し、それを防災資源として役立たせるために過去の記録や記憶の掘り起こしの大切さを伝えられた。コーディネーターの横内基氏が、地震に対する備えでは地域や建物の種別に分けてつぶさに考える必要があり、火災についてはソフトとハードを繋ぐレジリエンス(強靭さ、粘り強さ)、コミュニティ−レジリエンス構築の大切さをまとめとされた。

 参加者20名強、ほぼ専門家ばかりの分科会は密度の濃い内容であったと思う。耐震への課題を伝えたのは自分だけであったが、予定時間の3倍超の話を聞いていただけた。京都だけでも町家をはじめ、お茶室や堂宮、祇園祭の鉾など、入り口も出口も違う伝統軸組工法に取り組める。日本各地の民家や町家にも共通に個別の最適解を目指した歴史があるはず。川越の町並みを創る店倉の土壁の厚みは27cm、u当たり300kg!瓦の葺き脚は4寸5分。JIS規格の53Aの倍!それを受ける軸組のでかさ!贅を尽くした江戸の町並みが残ると言われる川越でその地震に対する性能は?その成り立ちの解明に何時か誰かが向かうことだろう。第3分科会では建築基準法3条、適用除外に向けた条例整備の課題も質疑に挙がった。日本で最初の京都市でも試行錯誤の状況をありていに伝えた。翌日の全体会、第3分科会の司会を務めた地元川越の松本康弘氏から、京町家からのプレゼンも格別丁寧に報告頂けた。ありがたく、戻った京都でまた同じ、町家再生の日常に取り組む元気を頂けた。

<末川 協 (京町家作事組 副理事長)>



第4分科会「町家再生を促進する流通のあり方」

 昭和2年の洋風建築である会場で、第4分科会は「町家再生を促進する流通のあり方」をテーマに行われた。まず、おなじみの金沢、今井町、東京谷中での活動を紹介していただいた。それぞれの地域でオーナーとユーザーをつなぐ組織的な活動が見られた。特徴的だったのは、金沢は少し前から不動産業の人を巻き込んでの活動だったが、今回の報告では、範囲の狭い今井町や谷中でも不動産業の人との連携が出来ており、今井町は不動産屋さんが入ってから、ぐっと空き町家の活用が増えたとのことだった。また、金沢では「おくりいえプロジェクト」(解体する予定の町家をみんなできれいに掃除をして、使いたいものがあれば持って帰ってもらう)、今井町では「おそうじ隊」や「まちあるき」などのイベントで一般の人たちにも参加してもらう活動が行われていた。谷中ではNPOが借りて直してサブリースする、という方法で町の人を巻き込んでの活動がされていた。

 地元川越からは、不動産業の人と昭和初期の看板建築の商店街を何とかしたい人が、現状を話してくれた。空き町家を貸すことにすごい抵抗があること、生活に特段困っていないのでなかなか現状から前へ進めないことなどの悩みがあることがわかった。途中休憩時間に、会場の参加者に質問事項をメモ用紙に記入してもらったところ、大変多くの質問が出され、後半は時間切れで、十分に消化しきれないまま終わってしまったが、町家流通に対しての関心の高さが伺われた。仕組みづくりの中では「メールで来た人は、メールで簡単に断ってくる」という活動する側にとって、つらい指摘も聞かれた。

<松井 薫 (京町家情報センター代表)>



全体会と第1分科会「町家の魅力と活用事例・再生への課題」


川越町並み

シンポジウム

会場
 全体会は例年開催されている「川越都市景観シンポジウム」も兼ねており、川越市民の参加も多く、熱気にあふれた会場となった。町家に住むことになった人々が町家の魅力や価値観を語ってくださった。とりわけ奈良県宇陀市の田川陽子氏は、再生のプロセスと日々の暮らしを自然体で語られ、「住むところが町家」という感覚がにじみ出ていた。町家に住むきっかけの一つに、「京町家まちづくり調査」に参加したことがあげられていたのは、興味深かった。私たちの取り組みはあとからゆっくり大きな実を結んでいるようで、これからもめげずに活動を進めようと思った次第である。

 アドバイザーとして参加した宗田先生のコメントも明快で、これまでの過疎対策や観光化から、少子高齢化の時代に町家をどうするのか、という問題にシフトしてきた、という。この認識を共有すること、「住み続ける町家再生は可能か」というテーマが明らかになった。

 第1分科会ではこのシンポジウムを受けて、各地の取り組みが紹介された。ご当地川越からは、川越一番街商業協同組合理事長の落合康信氏より、伝建地区の整備はしっかりしているが、高齢化による後継者などの課題があること、伝建地区以外の地域の問題などがあげられた。同じく埼玉県行田市、ぎょうだ足袋蔵ネットワーク代表の朽木宏氏より、足袋の生産地として栄えた蔵を近代の遺産として活用する取り組みが紹介された。前回の開催地である大分県臼杵市、臼杵の歴史景観を守る会会長の斉藤行雄氏や、コーディネーターを務めた福岡県八女市まちづくりネット八女代表の北島力氏からは、空き家を買い取って再生するという取り組みなどが紹介された。いずれも建物の保存ありき、という印象が強く、論点が活用にシフトしてしまい、本来の住まいとしての町家の魅力やありかたについて十分議論できなかったような気がする。

 第2、第3分科会で議論が活発であったことからもわかるとおり、技術の領域はかなり進展を見せている。かつては必ずしも正当に評価されていなかった伝統構法が市民権を得て、きちんとなおして住まうことが評価されている。第4分科会では、宗田先生のコメントのとおり、少子高齢化のなか、相続の問題、空き家の問題がどこでも大きく取り上げられ、流通の仕組みやその問題が今以上に重要になることがわかる。

 一方、第1分科会では、伝建地区による町家の維持の重要性、昔の暮らし体験のイベントによる個別の建物が維持など、「伝建」「保存」の論点が強くなってしまった。アドバイザーの小島理事長が「保存ではなく保全」という論点で、何度か軌道修正を試みる場面もあった。

 そのようななか、岡山県倉敷市NPO倉敷町家トラストの中村泰典氏から「一角だけ伝建としてのこっていていいのか」という課題が提示された。伝建地区の整備から始まった倉敷の取り組みが、世代を経て変化しており、伝建地区拡大ではない取り組みが必要であることが強調された。「町が記憶喪失にならないようにしたい」というメッセージは印象的である。居住者が新陳代謝し、住み続けなければ、「町」ではないし、そのための住まいが「町家」なのである。中村氏が主張する「コミュニティを育てなおす」取り組みは町家再生の重要なカギとなるだろう。最後は小島理事長から「美しくきれいな町、健全で美しい町家の再生」が強調された。町家の再生が町の美しさへつながり、人々が今の暮らしを健全に営めるようにしていく力が町家にはある、と信じたい。

 懇親会では旧知のみなさんにお目にかかるのも楽しみだが、若い人たちの姿も目立ち、それぞれが熱心に議論していた。行政マンもNPOも学生も、いろいろな形で取り組んでいる。活動が継続し、住み続けられる町を再生し続けることこそ重要なのである。

 次回は倉敷で開催される予定である。都市、まちなかの問題として、さらなる議論ができることを期待している。各地の状況による違いがあるとはいえ、「町家」「再生」交流会の意義を再考する必要があるだろう。きちんと建て直す技術を継承できても、建物が形骸化しては意味がない。次回も都市の問題として、京都から刺激的な発信ができるだろうか。

<丹羽結花 (京町家再生研究会事務局長)>