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京町家再生研究会
京町家通信  vol.101

大谷孝彦さんのこと

 大谷さんは京都大学建築学科で6年ほどの先輩でした。研究室でもお名前は良く知られていましたが、熱心な学生ではなかった私には、残念ながら大学時代の記憶はそれほどありません。お付き合いは、京都市内の設計事務所ゲンプランに入社してから始まりました。当時、ゲンプランは京都、大阪、東京に事務所があり京都事務所には12、3人ほどの所員が所狭ましと製図台を並べ、日々の設計業務に向き合っていました。大谷さんに直接教えていただく機会は直ぐにはなかったのですが、なされている仕事内容などを伺うと、判りやすく丁寧に教えていただいた記憶があります。

 ゲンプランは、満野久先生を始めとする、故増田友也教授の門下生の方々が始められた設計事務所です。稲沢市庁舎や伊勢神宮社務所など数々の代表作品がありますが、当時、大谷さんは事務所の中堅として活躍されていました。多くの仕事をお一人でこなされている姿を思い出します。事務所には、個性的な人間が多く、自分のデザインをとことん追及するスタイルの先輩達が多かったのですが、共通しているのは、よりよい設計を目指し、粘り強く推敲を繰り返す姿勢でした。このような中で大谷さんは、正攻法でそれこそ粘り強く設計を進められる方でした。

 当時、大谷さんは、「宝塚エデンの園」という大規模な高齢者施設に取り掛かられていました。宝塚の山手にある61,000uほどの敷地は、今では周囲にマンション群が建ち並び郊外の緑豊かな住居地の風情を醸し出していますが、当時は名門ゴルフ場が並ぶ六甲山ドライブウェイから少し入った山中の敷地でした。ここに400余戸の高齢者住宅を建てるという、時代を先取りした計画だったのです。これを大谷さんが一人でスケッチをしている姿は、図面と格闘されているように見えたものでした。同年代の若手は、大谷さんの設計スタイルを独創性に欠けるとか、新しさがないなどと好きなことを言い合っていましたが、地道な検討を重ねる姿勢から全体像が産み出される作業過程を私は驚きながら観ていたものです。

 この高齢者住宅群の入り口部分に特養を設計することが決まり、一つ年上の先輩と担当することになりました。彼は、その後一緒に独立をし、現在の設計事務所を彼が社長、私が専務として経営することになる人物だったのです。ゲンプラン時代は、私自身も皆に負けずにものをいう若者でしたが、紳士的で誰にでも誠実な姿勢で臨まれる大谷さんには、見守るように私達を指導していただいたものです。

 当時は、同僚達とよく酒を飲み建築談議をしたものです。大谷さんは、多くは飲まれなかったのですが、お酒の席はよくご一緒いただきました。奥様の実家が木屋町で御茶屋を経営されていて、私等はよく寄せてもらったものです。義母様が切り盛りされる、京都の風情を伝えるこのお店には、今思えば、迷惑を顧みずよくお邪魔したものです。人を許容する大谷さんの雰囲気が、つい私達を大胆にしていたのだと思い出します。

 さて、私自身は前出の1つ年上の先輩とゲンプランを独立するのですが、その後も大谷さんには危なっかしく見える後輩に気遣って声を掛けていただきました。20年ほど経って、私が建築士会の会長になったときには、自分のことのように喜んでいただきました。私自身は、大谷さんには大学やゲンプランを通じて教えられた正当な設計業務しか評価されないという思い込みがあり、建築家の実務ではないと卑下する気持ちもあったのですが、最大限の評価をしていただきました。実際には幅広く建築を考え、また、人の気持ちを感じ取られる方だったと思います。

 その後大谷さんは、京町家再生研究会の理事長になられ、京都の建築文化やまちづくり活動などにご活躍されました。これで、設計事務所の先輩後輩の関係に、京都で活躍する建築団体の長としての関係が加わったのです。このことにより、例えば京町家の防火の問題、景観まちづくりなどについて頼りがいのある先輩としての存在であることを再確認させられたのです。また、平成の京町家コンソーシアム副会長として、現代住宅を手がける若手の設計者に京町家の本質をよく理解することを、設計審査や設計指導などを通じて強く促されてこられたことや、その後、武庫川女子大の教授になられてからのご活躍も大谷さんの素晴らしい業績の一つであったと思います。また、大学の先輩としては、京大建築会でのお姿が強く記憶に残っています。大谷さんは、当時の会長の故横尾義貫名誉教授の信任も厚く、例会などで会長代理として良く壇上に立たれていました。

 このように、職場や立場、役職が変わっても大谷さんの誠実さ、人へのやさしさは不変だったと思います。これは、きっとご家族との生活でも、同じだったと思います。ずうっと変わらなかった、心優しい大谷さんのご冥福をお祈り申し上げます。

衛藤 照夫 (京都府建築士会会長・株式会社ゆう建築設計専務取締役)