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京町家再生研究会
京町家通信  vol.100

京町家の阿留辺幾夜宇和

<一軒の京町家に密かな楽しみ>

外観
 大学教員の職を辞してはや一年が経った。疲れを癒すため、毎日のように自転車で、時に歩いて、まちを散策している。以前から一つの密かな楽しみがあった。それは一軒の京町家の前を通り過ぎることであった。時々想い起こしてその前を通った。京都の良質な美意識と堅実な倫理観がそこにあるように思われ、それに触れることがささやかの喜びであったからである。間口が大店の幅の広いものではなく二間半ほどで、京都でよく見かけ得る家の構えであったことも、一市民の身の丈の生活がよく現れているように感じたのであろう。
 この京町家は、向かって右に中二階ほどの高さで袖壁が立てられている。壁と同じの明るい黄土色で塗られており、煩瑣になりがちなメーター類をまとめて収めるボックスが嵌め込まれている。樋は納まりの悪い構成要素だが、銅製のもので一階軒先で素直に下に落としているのも好感が持てる。前面の引き違いの格子戸も、出格子や脇の平格子もよく見かける意匠であるが、その寸法がほどよいせいか品良く場所を得ている。軒瓦も、京都の格式を感じさせる一文字瓦ではないが、これがこの清楚な家に似合っており、かえって好ましく感じられる。二階に眼をやると、家は総二階で雨戸が付いている。その軒先に吊された簾に、この家の住み手の美意識がとくに感じられる。以前あまりにも整った簾の姿が気になりよく見たところ、何と簾の下端が揃えられて一本の細い角材に結ばれていたのである。隣合う簾は暴れることなく、行儀良く一つの面を作り上げている。もちろん、簾が風で揺れて微妙にずれるのも風情があるが、これはこれで一見識である。こうした慎ましやかで行儀の良い京町家の姿が、何時通って眺めても清々しい気持ちに私をさせてくれたのだった。
 ここには京町家と住み手のありうるべき姿が凝縮しているのではないだろうか。
 さて、もう一度確認のためこの京町家を眺めていたところ、家人らしきご婦人が出てこられたので、少しお話しをうかがった。
 この通りに面した部分は、S工務店に改造して貰ったとのことであった。「お高いですよ。」とのことでもあった。S工務店は、夷川通りに面したところにあった。看板などはないが、袖壁の意匠が同じであることでわかった。格子戸や平格子などの構えも、よく似た寸法取りである。
 とすると、この京町家の意匠は、住み手と工務店の合作と見た方がよいのかも知れない。
 もう少し言えば、このようなしっかりした意匠で造る町家大工棟梁の美意識が工務店と名を変えても存在するということであり、またそのような工務店を選ぶ見識のある住み手が存在するということでもある。
 京都に昨今新しく建てられている住宅が本来有ってもよいはずの美意識が感じられないことを残念に思っていたが、まだまだ可能性はありそうだと思った次第である。

<自動車は京町家にとってやっかいな存在>
 京町家にとっては自動車の存在がやっかいである。私は京町家を購入し住むにあたって、その大幅な改変とその費用が馬鹿らしく、あえて車を手放した。現在は、もっぱら公共交通機関を利用し、まったく不便を感じていない。先の京町家も車を取り込まないことで、その風情を残している。
 しかし、そうもいかない人達がいることは認めなければいけないだろう。そして、古い京町家の表の間を改造して土間にし、格子を車庫扉にして、良き町並みに寄与している見識の高い住み手や設計者・施工業者がいるのは心強く思われる。こうしたデザインには、かなり出来の良いものがある。だが一方で、前をだらしなく空けて何とも思わない住み手がそれより遙かに多いのは残念なことである。
 最近は、大きな敷地を分割し、ハウジングメーカーの住宅を建てる人も多い。家を性能で評価し、建てるのではなく、ものを購入するような意識で新築しているのではないかと思うほどである。敷地の前を駐車スペースにし、住宅を二,三階建てにしているのは一つの解答であろうが、新建材の肌触りの悪さや殺風景な駐車スペースと車の存在は、通りを歩く者にとってはあまり快い気分はしない。
 そろそろハウジングメーカーも下記のような姿勢で京都に建てる住宅を考える時に来てはいないか。

<伝統的京町家をそのまま新しく建てる>
 こうした状況を踏まえ、「伝統的京町家をそのまま新しく建てる」(とくに、外観)ことを私は奨めたい。そして、それを実行するため、法整備を始めとする施策を考えてはどうかと考えている。
 例えば、防火耐火に関しては、街路毎に消火栓をつくり、初期消火は住民の手で行うようにする。新しく建てる伝統的京町家の一方の壁を防火壁(例えば、コンクリートでつくり、化粧で板壁とする)として、延焼を防ぐ手立てを取る。それが連続すれば、相当類焼を防ぐこともできるのではないか。また卯建をつくれば(最初に取り上げた京町家のように袖壁を地上から二階軒先近くまで上げることもありうる)軒先で火が走るのを防ぐこともできよう。その一方、室内は椅子式の生活も含め自由にプランを考えればよいのである。
 自動車の処遇は、なかなか難しい。上記の車庫を格子で隠すのは、一つの方法ではあろう。
 3階建ての京町家も例があるので、なんとかなるはずだ。私の意見はあまりにも極端なものと受け止められるかも知れないが、京都の住まいや町並みの質を簡単に取り戻すための方法として、単純で分かりやすい提案ではないかと思っているが、如何なものだろうか。

玄関 卯建

磯野 英生 <京町家再生研究会・元幹事>