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京町家再生研究会
京町家通信  vol.100

京町家との出会い

近頃,考えている事を書いてみます。
 私自身は昔ながらの京町家に生まれ育ちました。最初の京町家との出会いです。所で,どこをどうつついたか、建築の世界へ転げ込んで仕舞いました、因果な野郎です。
 そして公団住宅華やかなりし頃から、古い町家に新しい生活様式を馴染ませられないかと、色々改修を続けて来ました。以後ずっと、改修を生涯続けて来た事になります。
今から20年程前に、突如私の所有になった一軒家を京町家として改修する羽目に成って、これが二度目の京町家との出会いです。
 旧まちづくりセンター(現マンガミュージアム)の一室で、情報センターの井上さん、作事組の何方か数名の方と相談し、件のベニヤ張り改装の通称「向いの家」を、元の京町家に改修し、同時に居住者も斡旋して頂く事にしました。今も二代目の居住者・若いご家族が住って居られます。
 工事完成後、鈴木有先生(当時確か秋田県立大学教授)が、振動実験をされました。結果、梁間方向に「ねじれ」が認められるとの事でした。この建物は、全体の1/3が吹抜けになっており、しかも片寄った位置に在るので「ねじれる」のだろうと思います。
 翻って、京町家の一般的な使われ方を、大きく三つ位に分類してみました。

 (1) 生業を最優先し、表を全面店舗に改造されたタイプ。全面商業建築化された物もこれに含めておく。
 (2) 現代の生活様式に馴染むよう、主として表、通り庭、水回り等を改修された住宅専用又は職住共存のタイプ。
 (3) 京町家を殆ど全面的に残し、且つ活用して、生活されている、ほぼ完全保存型。

 (1)は表商売をされている商店街のイメージ。内部は座敷や通り庭が意外と残っているらしい。やむを得ない改修で、むしろ微笑ましい。全面商業建築化は、又別と考える。
 (2)では外目には殆ど町家スタイルが残っているものと、大きく変わっている物とがある。後者は自動車庫を取り込んだ場合が多くシャッターが痛ましい。最近は車を持たない人が増えつつあるので、景観には良い方向。
 (3)線香屋さん、扇屋さん等伝統的な商品を扱っておられるお宅。内部も当然大事に残されている。文化財として保存されている建物もこのタイプ。但し全体としてはレアケースである。

 以上の様に京町家は色んな形で存在して居ます。それが次から次へと壊され、駐車場になり、マンションになり、木造3階建て等になっていきます。確かにまあまあと思えるマンションもありますが、現状は町並みなど糞喰らえ、効率一辺倒、基準法さえクリアーすればよいマンションとか、木造二階建ての建並ぶ町並みの中に突如3階建が建つとかであり、京都らしい景観が壊れるのは誰が見ても明らかです。これでも景観法はクリアーしているのでしょうから、如何に法律だけでは不充分かを実態で証明しています。明治時代の方が景観感覚は優れていた様です。これでは先人に対して申し訳なく思います。
 私は京町家は残るべくして残ると思っています。京町家は地震に結構強いし、腐っても蟻害にあっても部材の取替が効き、再生可能です。地震に強いと思えるのは、ボール紙を簡単に折り曲げて作った勾配屋根型の模型と、陸屋根型の模型とを、壁のない梁間方向に指で押してみた所、陸屋根の方は何の抵抗もなく倒れますが、勾配屋根の方は容易に倒れません。まるで勾配屋根が耐震壁の役をしている様です。これを見て京町家が地震に強いと実感しました。専門的なことは先生方にお任せして、我々は前へ進みましょう。ただ柱の足元、妻壁と勾配屋根の接合部分は入念にチェックする必要があろうと思います。
 以上が「残るべく」の意味です。「残る」は最近多くの人が京町家の良さを認識され,住みたいと思う人が増えてきました。そう言う人がいる限り京町家は残ると思います。
 と言う事で、我々京町家を供給する側は、その良さをアッピールする必要あると思います。良いと思う人が増えなければ京町家は残りません。最初に京都人にアッピールしたい。何しろ京町家に住んでいながら、その良さを理解しない人が大勢います。これが京町家が壊されて行く最大の原因ですから。
 それと景観て何でしょうか。風光明媚な環境を守りたい所での景観、街の大通りでビル群の統一感を求めたい景観等色々ありますが、京都市中の細街路地区では京町家を残すことが、よい景観を作る道筋になる筈です。マンションでも効率第一主義でなく景観に相応しい設計が求められます。その景観のベースが、京町家がそこにある事だと思います。
 京都らしい景観の為に、京町家を残すべきだとの理念を、行政も市民も共に高めて行けないか、年甲斐もなく夢見ている所です。

大井 市郎 <京町家情報センター元代表>