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京町家再生研究会
京町家通信  vol.100

100号を記念して

 京町家再生研究会が設立されて23年目を迎える今年、「京町家通信」が100号になったとの事、月報類で100号を重ねる事は大変な事で、当事者皆さんの御努力の程が思はれて、只感謝する気持で一杯である。さて、お祝いの言葉としても卒寿を超え「巧者嘉」と自称する呆け老人の祝詞としては、お定りの祝い言ではつまらないので鼬(いたち)の最後っ屁で申訳ないが、愛する京町家再生の為今後考えて頂き度い事柄を幾つか述べてお願いして置き度い。無論経費の関係で実施不可能な夢物語もあろうが何とか実現して頂き度いのが夢物語の夢である。

 千年の古都その中心部にどんどん焼の廃墟から起ち上がった町衆達が築き上げた、あの美しく整然として建並んでいた町並が、戦後発展の美名の下に薄っぺらな鉄筋コンクリートの洋風ビルに建替えられて行った。業務の進行、輸送交通の便利、能率の向上と、色々な理由はあり、また老生自身が本業でその一端に加担していたのであるが、これも都市の発展、事業の進化として、町家の伝統的な生活や景観がそれだけで壊されて仕舞う事は大きな損失である。更に町衆の住居に対する考えも一例を上げれば少数の家持(家主)が多数の借家人(借主)に所有の町家を貸し家賃を頂く、即ち、事業資材として考へられ維持管理に十分の配慮がされていた町家が、戦後逆転し借家人が住居を買い取り多くの素人家持が急増した結果、住居の小さな欠損や雨漏り等小廻り補修工事を気付かず大事に至る事が間々あり、これも作事組の大きな出番の一つであった。

 幸い先人の努力に依り大部改修工事の方は依頼、受注の糸口がつきつつあるが、今一つ大きな京町家及び街区に対する目標が不足していないか、これは我々業者側でなくて行政の問題であるとも思うが、関東大震災時の後藤新平市長の如く「大法螺」の夢を持つ事も一案ではないだろうか。以下。

◎町並景観について
 簡単に言えば、電線、電柱を道路より無くする事で、一部実施された地区を見ると空が広く空気が美味しい気分になる。その管理や維持は大変であろうが、何か新しい方式を考へて管理してほしいものである。水道、ガス、電線類の共同溝も一案であるが、近年進んだ建設工法の智恵であたれば何とか出来る提案と思う。

◎京町家の改修に家の品格、格差を考える
 現在の町家再生を見ると、町衆の住居、生活より「京町家」を看板に営利を求めるだけの京町家型改修が多い。「京町家」が飲食やお土産品等の小物店の代名詞になる恐れもあり、或る程度町衆の品格を保つ京町家の再生に方向を向けて頂き度いと思う。

◎「通り庭」の特徴の維持
 戦後水洗便所の普及が通り庭の廃止に大きな役割を果たしたがこれでよかっただろうか。昭和初期藤井厚二氏等によって「新住宅」の主張にしばしば東京式お家台所の寫眞や設計が老生の学校時代の教科書に出て、土間炊事との得失が教えられたが、下駄履き作業の寒さや配膳の不便さ等が考えられ、子供の頃出入りの魚屋さんや販売の人たちが走り元の通路上で魚をさばいたり、鱧の骨切りを見たりした思い出も懐かしいのとともに、成長期の子女の教育にも益があり、奥庭の手入れや作事方の通行にも便利な通り庭が消えて行く事が残念である。

◎大家族と二人住居
 戦後家族制の変化が大から小へと大きく変わったが、京町家の様に一列三間取り式の形式では余程上手に使いこなさないと、部屋に無駄が出て困ることが多い。木軸の構造上の制約から無理ではあるが、耐震を兼ねて新しい木軸構法の創出は出来ないだろうか、「間、坪」より「米、平米」に変わった局面で、従来の規格に依らない新しい京町家の創作は?たとえば耐震仕様の部屋を一階に組み込み寝室とし、昼間発生の時は逃げ込み、夜は地震の間に寝る、一階に地震の間が出来ればその二階が安心となる、といった夢の様な発想が面白いと思う。

◎設計家の予備体験
 施主の手に渡したらもう再び細部まで見られない住居、その住み心地、住み勝手を施工者が短期間一度仮住居して住み心地を体験してみると云う制度を作り、実際に朝晩寝起きし、住民の身になって朝晩の起居、通風や寒暑、人の動き、客の応接、住人の健康等を考えるサービスを作っては如何。世に高名な先生方でも完全無欠とはゆかず、賞を得た名建築が引渡の後維持管理に苦しんだ話はよく聞くがそれを防ぐ為にも予備体験の様なサービスも天才ならぬ凡人の我々には心掛ける事ではなかろうか。

 以上呆け老人勝手放題の世迷い言、明日よりはお忘れ下さって「京町家再生」法の創案として頂き度く、この原稿を一度大師匠にお目通しをお願いした処、これは老職人「巧者嘉」の文字通りの夢想物語り、巧者嘉のペンネームを「オシャカ」と直せばとの返事と今日は確か「四月一日」これでオチが着いたと書き添へてあった。

佐藤 嘉一郎 <京町家友の会>