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京町家再生研究会
京町家通信  vol.100

情報の発信

 情報の発信、受信その活用は団体本来の活動と共にとても重要なものである。「京町家通信」は永年京町家ネットの機関誌として情報発信し4つの会の発展に大きな役割を果たしてきた。その京町家通信が100号になるとのこと誠におめでたい。100号というと17年前から続いて来たのか。その間、編集を担当した再生研幹事会、原稿作成に関わった京町家ネット担当者のご努力に深く敬意を表すると共に印刷製本等の実務を担当された学芸出版社のご協力に感謝したい。 この発刊の頃から作事組、友の会、情報センターが次々に設立され私は京町家作事組の事務局長を5年務めた。今回は作事組の草創期のエピソードをご紹介して情報について考えてみたい。

 京町家作事組設立総会は1999年4月に開催された。京都市副市長を始め来賓の挨拶の後、作事組メンバーのスピーチがあった。我が作事組のメンバーは口八丁手八丁、入れ替わり立ち代わり京町家再生保存の意義とそのために果たすべき「作事組の役割」について滔々と語った.この設立総会の模様は全国紙1社と地元の京都新聞が取材して翌朝掲載、大きな反響を呼んだ.20世紀末はバブルの崩壊による金融機関の破綻、阪神大震災、オームのサリン事件など暗いニュースが続いたので久し振りの「明るいニュース」であった。

 作事組の本部事務局は室町五条の我が家に置いてあったがその翌日からの取材攻勢は大変であった.取材に来なかった全国紙の京都支局長が事務局に押しかけ「いやいや大阪のデスクに叱られました.出遅れたのでもっと深く掘り下げた取材を」と連日。新聞の取材が一段落すると今度はテレビ、英字新聞、通信社、タウン誌、女性雑誌、単行本と続いた。会の宣伝をしてくれるので喜んで対応し、設立間もない作事組や再生研の知名度を高めるのに大いに役立った。

 次に「町家再生の技と知恵」の発刊である。会が発足すると会の設立目的である改修工事の相談が続々と入りだした。2週間に1度開く理事会で相談案件について改修の方法、工法などを検討し現地調査の担当者を決めるのだが、メンバーの京町家に関する認識がバラバラな事が判ってきた。それぞれの師匠、先輩から受け継いで来た京町家のあり方や工法、技術用語などが違うので議論が噛み合わない。そこでこの統一の必要を感じ「技術基準」のすり合わせを始める事にした。

 丁度この頃、再生研会長であった望月さんは作事組の理事会にも出席されていて耳寄りの話を持ち込まれた。建築士会で「まちづくり」に関する提案を募っているので、この「技術基準」をまとめて応募しないかとの事。入選すれば50万円の賞金が出るという。良い目標が出来たので本腰が入り「京町家に関する技術基準」というテーマでまとめ応募しようということになった。望月さんは京都府建築士会の会長を永年努められた方である。それから数ヶ月メンバーが夕方になると学芸出版社に集まり各職の専門家が大工、左官、瓦、畳などの職種毎に伝承してきた技術を披露、設計者がメモを取る。更にそのメモを基に検討会を開く。やっと論文にまとめて応募期限ぎりぎりに建築士会に提出。何とか入選して50万円獲得した。望月さんも審査員の一人だったと思う。

 その後話が発展、折角作ったこの成果品を出版して今後の町家改修の参考書として世間に役立てようという事になった。そして2002年5月、作事組発足の3年後「町家再生の技と知恵」の初版が学芸出版社から発行されたのである。それまでの京町家に関する書籍は歴史、様式の解説書や現存する京町家の紹介書などでこのような改修工事に使える参考書はなかったので関係者に歓迎された。全国紙の書評欄に掲載され版を重ねる事になったのは嬉しい事であった。

 私の退任後の2005年6月には第2弾として「町家再生の創意と工夫」が発行された。副題が「実例にみる改修の作法と手順」となっているが6年間の作事組の改修実例紹介と共に「京町家作事組標準歩掛り表」が巻末に掲載されているのが味噌。2005年5月現在の単価も示されている。この2冊の本の出版は作事組からの重要な情報発信であった。

 京町家ネットの4つの会は「京町家通信」を情報発信の軸として大きく発展してきた。近年のパソコンの発達は目覚ましいが、まだまだ文書による情報発信は欠かせない。今後も「京町家通信」が力を発揮することを望むものである。

田中邸(初代作事組事務局) 釡座町町家(現在の作事組事務局、
情報センター事務局があるところ)

田中 昇 <京町家再生研究会・友の会>