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京町家作事組
作事組の職人さん・その25

(営繕 西出)
釜座町町家の瓦屋根は西出さんが手がけました。
 今回は瓦職人の西出豊蔵さんにお話を伺いました。作事組が運営する“京町家棟梁塾”で学んだのをきっかけに、作事組に入られた職人さんです。

――紆余曲折を経て瓦職人に
 僕は京都生まれの京都育ちです。お祖父さんが瓦職人で、父が西出瓦店を創業し、従業員が10人位いました。土葺きの時代、瓦屋は“手元”と“職人”に分かれて仕事をしていました。“手元”は下で土を練ったり瓦を屋根に上げたりし、“職人”は屋根の上で瓦を葺くんです。僕が子供の頃には瓦の“上げ屋さん”もいたんですよ。肩の上に20枚位乗せて、木のはしごで屋根に上がっていくんです。1枚いくらで。僕は高校生の頃からアルバイトで家の仕事を手伝ってました。屋根の上での歩き方を覚えることからスタートして、そのうち職人仕事もするようになっていました。
 僕が大学生の時、親父が亡くなったんですわ。五人兄弟の次男なんですけど、僕から下は全員まだ学生でした。古い職人さん達が残ってくれはったから、兄が跡を継ぐことができました。僕は文学部の東洋文化学科で中国文学を専攻していて、卒業後はサラリーマンになったんです。1年間営業の仕事をやりましたが、おもろないなと思って辞めました。その次は訪問販売の仕事をやってたんです、半年位。そんなことしてたら母親が、近所の弁当屋が空いたからやれへんか、と。それで弁当屋を始めました。面白かったですよ、5年位してたかな。同時並行で居酒屋やお好み焼き屋、ケーキ屋もやりました(笑)。最初は流行ったんですけど、そのうちコンビニが増えてきて売上げも落ちて。結婚が決まったこともあり、その頃兄の会社が忙しかったから、ほな手伝おうかということになって、それが30歳位の時でした。瓦組合の訓練校に入り、一から勉強しました。訓練校の先生が言われたのは、これからの時代は瓦だけではやっていかれへん。親方になって営業するか、多能工になるか。建築士の資格を取ったら大工さんとも対等に話ができるよ、と。それを聞いて、二級建築士になる勉強もしました。僕、わりに素直なんです(笑)。その頃行ってた現場の大工さんに「建築士の試験に受かりました」言うたら、態度変えはりました(笑)。

――京町家棟梁塾の1期生
 棟梁塾に入ったのは45歳の時です。新聞で塾生募集の記事を見て、勉強しようと。僕が最年長で、大工の大下君が最年少でした。先生達は何を聞いても答えてくれはるんです。すごいなあと思った。あの募集記事を見てなかったら、こんな人達には会われへんかった。棟梁塾に入ってほんま良かったと思います。それ以来、他の業種の方の仕事をよく見るようになったねえ。それまでも見てたんやけど、意味がわかって見られるようになりました。視野が広がった感じです。

――“営繕”に込められた思い
 子供の頃から、困った人を助けたいという気持ちはありますね。見習いの頃、瓦を葺いてたら、下を通らはる人がよく聞きはるんですよ。「うちの壁にヒビ入ってるねんけど、もつんかなあ?」とか。よく人からものを尋ねられるタイプやったから、「知りまへん」ではあかんなと思って。質問に答えてあげられる人になりたいなと。そういう理由もあって建築士の資格をとったんです。
 兄の会社には20年ほど勤めてたんですけど、今から4年前、49歳の時に独立しました。日本瓦より平板瓦の仕事が多くなってたし、屋根以外は樋と板金しかしてなかった。瓦以外の仕事でも、ちょっとした修繕ならやってみたいと思うようになってきたんです。それで、屋号に“営繕”と付けました。

――瓦屋の仕事
 瓦屋は、天候にもろに左右される仕事です。雨が降ったら仕事できませんし。初冬には瓦に霜が張って凍てることもあり、足元が滑ります。夏の暑い時も屋根に上がりますけど、皆が「何度あるんや?」とあまりに聞くんで、一回測ってみたら57℃ありました。瓦は素手では持てず、軍手で触っても熱いです。照り返しもありますしね。だから40分ほど仕事したら下に降りて休憩します。たぶん知らんうちに熱中症になってるんちゃいますか。春から夏にかけてだんだん暑くなるのを経験して体を慣らすんです。早朝や夜に仕事できたら暑さもマシでしょうけどね。古い職人は、夜に屋根に上がるもんちゃう、と言ったものです。
 家が30-40年経ったら歪んでくるのと同時に、屋根も歪んできます。そういう状態の屋根にうまく瓦を葺き替えるのが職人の腕の見せ所ですね。
 お施主さんに知っていただきたいのは、我々の仕事は段取り70、現場が20、後片付けが10、だということ。お施主さんから見える部分は、全体の100の内、20なんです。それから、雨漏りを発見したら、とにかく早く連絡してほしいですね。応急処置だけでもしておかないと、放っておいたら柱やら木が腐りますから。あとは、ご近所と仲良くしておいてもらえると助かります(笑)。
 日本瓦の仕事は年々減っています。淡路島は日本で二番目の瓦の産地なんですけど、そこでも日本瓦の生産は全体の三割だそうで、そのくらい瓦は減ってるんです。瓦は値段が高いというイメージを持たれている。高くないんですけどね。重いとも言われますが、今は土葺きとは違い、引っ掛け桟葺き工法なので、それほど重くないんです。
 僕は町家の仕事がほとんどです。新建材はしょっちゅう製品が入れ替わるけど、瓦は千年以上前からある。傷んだ箇所だけ差し替えや修繕をすれば長持ちもする。これからもずっと日本瓦をやっていきたいです。

***

 ひょうきんで親しみやすいお人柄で、他職の職人さん達からも「とよさん」と呼び慕われている西出さん。「困っている人を助けたい」という気持ちが、技を磨く原動力になる。そんな職人魂を感じたインタビューでした。

聞き手:常吉裕子(作事組事務局)

会社メモ
 営繕 西出
 京都市下京区観喜寺町2番地

(2013.11.1)