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京町家作事組
作事組の職人さん・その14

家具・什器

(木漆工芸 京都幾何工房)
沢辺和真氏(右)
自作の椅子に座る建田さん
 町家をいっそう魅力的にしてくれる、木の家具。今回は、木と漆の組み合わせで作品を制作しておられる京都幾何工房の建田良策さんにお話を伺いました。作事組との出会いは、建田さんの生家でお住まいでもある町家の改修をお手伝いしたのがきっかけです。

──手がける作品は
 僕の場合、ほとんどが受注制作なので、何に使うか、どこに置くのかなど、依頼者の思いを充分に話してもらいます。とことんまで詰めて絵を描いて、話し合って、それでも足りない場合は模型を作ることも。注文の多くは家具ですが、盛器や花器、厨子など、なんでも作りますよ。珍しい例では、東大寺の大仏慶賛法要のために復元された、染めの版木を作らせてもらったことがあります。正倉院の模様を再現して板を彫るのですが、とても貴重な体験でした。
 制作する時は、形や雰囲気はもちろん、使いやすいかどうかを常に考えています。使う人のことを第一に考えてものをつくる、それが工芸やと思うんです。僕は民藝運動の考え方にものすごく共感していて。柳宗悦の『工人銘』に、「美を作為してはならない」という意味の言葉が出てくるのですが、これをいつも胸に置いています。
 自分のアトリエを「京都幾何工房」という名前にしたのは、幾何が好きやから。図面上で寸法を計算する時に、幾何学をすごく使うんです。工芸的な作品を作る人には図面を描かない人も多いですけど、僕は徹底的に図面を描きます。自然の中にあるプロポーションにも、数学的に整ったものが多いんですよ。

──木漆工芸への道
 僕は薬学部の出身なんです。大学を卒業したのが全共闘運動の時代で、就職も難しく、営業職しかなかった。自分には向いてないと思ったから、他の仕事を考えたんです。子どもの頃から木で物を作るのが好きだったのと、学生の頃に通った進々堂のテーブルがとても魅力的で。一見たいした細工をしていなさそうなのに、素晴らしい。自分でも作れそうな気がしたんですよ。作れないんですけどね(笑)。それを作った人間国宝の黒田辰秋氏に、弟子入りしたいと、いきなり電話をしたんです。そしたら気ぃよく会ってくださいました。けど、黒田さんは当時ご病気で、弟子をとっておられなかった。息子が木工教室をやっているので行ってみたら、と勧められ、黒田乾吉さんの木工教室に通い始めたんです。教室は1年間で終わってしまったので、それからは自分で作品を作っては見てもらうという生活。その後、銘木屋さんの社員になり、木の勉強をしたり自分の作品を作ったりしながら十数年勤めた後、独立しました。
 木工を始めて3年くらい経った頃、蒔絵師にも弟子入りしたんです。そこで7年間、漆について勉強させてもらいました。僕が拭き漆(木地が見える漆塗り)を手がけるのはそこから来ています。生まれて初めて筆を持って、絵を描くようにもなりました。その頃の生活は、午前はアルバイト、午後は漆の仕事に行って、夜はアトリエで制作、という毎日でした。薬学とは違う道に進みましたけど、漆を扱う時の化学反応なんかをすんなり理解できるし、薬学をやってて良かったなと思いますよ。


建田さんの作品 棚と盛器
──今後の目標は
 人との関わりを大切にして仕事をしていきたいですね。注文してもらって納めて終わり、ではなく、納めた時からお付き合いが始まるような。メンテナンスをきっちりするということです。大事に直しながら使ってもらうものでないと、値打ちがない。その点は町家と同じです。家具は、人がじかに触れるもの。家を建てる時には、家具も含めて生活設計をしてほしいですね。時々、うちの家なんかには合わない……と謙遜する方もおられるのですが、いいものがひとつあると、そこから気持ちのいい空間が広がっていくんです。建物を作ってから家具を考えるのではなく、その逆を考える。お気に入りの器があれば、その器にあうテーブル、テーブルにあう部屋、家……最後は町並みまで、ひとつのお碗から広がっていくような、そんなものづくりができたらいいなと思います。

***

 釜座町町家のミセの書架と2階事務局の椅子は建田さんの作品です。存在するだけで生活空間ががらりと変わる、そんな家具。家に流れる記憶の一部として、大切に受け継がれていくにちがいありません。自分だけのとっておきのひとつ、お願いしてみてはいかがでしょうか?

聞き手:常吉裕子(作事組事務局)

※会社メモ:木漆工芸 京都幾何工房
 京都市下京区若宮通六条下ル若宮町543

 HP:http://homepage3.nifty.com/kyoutokikakoubou/
(2012.1.1)