シリーズ二回目となる今回は、職歴42年の大工職人、山内工務店の田中建司さんにお話を伺います。六条若宮西の現場にお邪魔しました。 ◎ 山内工務店の田中建司さんインタヴュー ――山内工務店の大工職人になったきっかけと、現場を任されるまでの道のりについて教えてください。 伏見工業高校で土木と建築を学び、23歳で独立しました。ところが32歳のとき交通事故にあい、7ヶ月ほど休業することになったんです。働いていた職人には辞めてもらわねばなりませんでした。けがから回復して現場に復帰することになり、かねて付き合いのあったふすま屋さんから紹介されたのが山内工務店の仕事でした。それから半年か一年して現場監督を任されるようになり、抜けられなくなって(笑)、今に至ります。 ――独立を考えることもありますか。 息子ぐらいの歳なら考えましたが、もう若い人の邪魔になってくる年齢です。70歳ぐらいまでこの仕事を続けたいですが、それからは少しゆっくりしたいですね。 ――息子さんも山内工務店の職人さんでいらっしゃいますね。田中さんは後進の育成についてどのように考え、実践しておられますか。 私たちの若い頃は、人の仕事を見て盗んで、自分で考えてもっと工夫をしていました。先輩は休憩時間になると道具を覆って人に見せないようにしていたくらいですから、親切に教えてくれる人などいませんでした。今は言われたことしかしない人が多いですね。工夫が足りない。失敗してもやり直せばいいんですから、自分で考えて色々やってみたらいいと思います。そう思って若い人には厳しいことも言いますが、なかなか伝わらないこともあります。私たちから離れて仕事をするようになって初めてそのありがたみがわかることもあるのです。同じ現場に息子が入ってきたときも、周囲には息子とは言いませんでした。十年たってはじめて息子として紹介しました。家に帰っても父親ではなく親方と呼びなさいと言いました。 ――先人の知恵や技術に感嘆した経験があれば教えてください。 仕口をばらしたとき、珍しいものは持ち帰り、なぜこうしたのだろうかと考えます。 いま伏見で江戸時代から受け継がれた古い町家を改修していますが、桁の仕口が波状、鉤状、稲妻形と三方ちがっていて、なぜかわかりません。船鉾町会所の改修では、息子が色々な仕口を使ってやっています。仕口は大工の技をみせたいという気持ちが表れるところじゃないでしょうか。 ――新しい技術や材料で取り入れたいと思うものはどんなものがありますか。 ALCパネルを使った乾式工法や、瓦の桟葺き工法があります。 ――土葺きは災害時など、屋根の重みで家が潰れるおそれがありますか。 奈良の法隆寺は土葺きですが、千三百年以上もっていますから、土台がしっかりしていれば土葺き工法でも地震や台風にも耐えられるということでしょう。
風通しだと思います。床を高くして縁の下を常に風が通るように気をつけています。 ――どのような注文があると嬉しいですか。また、今後どのような仕事をしてみたいですか。 難しい仕事をやり遂げることに喜びを感じます。他ではできないような短い工期の仕事も喜んでやります。自分の仕事をしながら全体の段取りもしなければなりませんが、段取りは好きなほうで、寝ているときにも考えていることがあります。1年か2年かけて凝った仕事をしてみたいとも思います。 お話のあと、六条若宮西の町家旅館「悠」、「里」を案内していただきました。築八十年と築百年の隣り合う二軒の町家を改修し、今年4月にオープンしたばかりの宿です。田中さんをはじめとする職人さんの手仕事が随所にみられ、和みの空間を創りだしていました。3ヶ月という短い工期のなかで築かれたお施主様との信頼関係が今日の現場に繋がっている、そんなことを自然に教えられた気がします。 〈聞き手・森珠恵(作事組事務局)〉 ※会社メモ:株式会社山内工務店/社員14名(うち大工11名)。 1960年創業。 本社所在地 京都市中京区壬生寺花井町22番の6 (2009.11.1) |