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京町家作事組
町家再生再訪・その15

路地町家 有 その1

(設計:京町家作事組 施工:山内工務店)

 新町通錦上るから西へ延びる深い路地の最奥にある「路地町家 有」の山田有子さんを訪ねました。2007年の改修工事で、棟梁塾1期生の本格的な実践実習の機会を提供してくださった方です。


改修当時の記事もあわせてお読みください。
「生家の町家を再生活用 ── 中京・Yd 邸」(2007.11.1)


○路地住人となったいきさつ

 伏見で先祖からの表屋造り京町家に住んでいた父は、そこが軍施設の傍であったため、終戦間際の緊迫の中で延焼防止の打ち壊しを決定され七日間で強制疎開。家財は親戚4軒に分け預け、取り敢えず落ち着いた先がこの路地だったそうです。建具も畳もなく外構えだけの家だったので伏見の物を持ち込み嵌めたそうです。建具の高さは共通の寸法だったよう ですね。そして終戦後まもなく、人々を救済すべき悲惨な事態に遭遇し、打ち壊わしにあった間口六間の土地と蓄財を提供して救済。そのため元の伏見に戻ることなく、この路地で後半生を送ることになったそうです。私はその五年後にここで生まれたのですが、残っている六間幅の麻と綿2枚の家紋入り幔幕を見るたび実感していました。そんな事情もあって路地奥にもかかわらず、訪ね来る大店の主人や奧方は不思議なことにこの小さな家を面白いと気に入り、足繁く通う方もあったとか。とにかく来客の多い家でした。生活に必要最小の家でしたが、祇園祭の鉾町でもあり、私が物心つく頃には、母は何かと大変そうなものの、父はもう物欲に捉われず楽しげに住みこなしていました。その両親も亡くなりこの家が残り、古い上に三年ほど空き家にしていると傷みもますます激しくなって来て。


○作事組との出会い

 「この家は、小さくても伝統工法の良さは備えていて住み佳い。」と感じていましたから、ふと「この家を元の姿に戻せたら。」と思いたち、友の会を通じ作事組に引き受けていただけ改修の運びとなりました。当時はウチのような路地奥の狭小町家の改修は作事組ではあまり例がなかったのではないでしょうか? さぞ酔狂に映ったことと思いますが、改修を終えると予想通り、こじんまりした可愛い町家になりました。それにしても作事組棟梁塾生の改修現場は活気に溢れ、家が建ち起こされる様子も見せてもらえ感動的でした。


○先日の台風21号は

 暴風雨がウチの軒の深さでは防げず、二階表(東)の窓枠から水が入り壁伝いに真下の一階出格子に雨漏りしました。そういえば改修して間もないころ二階の窓枠から雨が浸み込み壁を濡らしたことがありました。その時は「土壁は乾けば元に戻ります。なんともありまへん!」と工務店の社長さんに言われ安心したものです。確かに乾きますが、きつい台風の時は何か降り込みを防ぐものが必要でしたね。柱まで濡れると蟻害まで心配になります。それに改修時、裏側(西)は「雨戸はなくていいでしょう。町家はすだれで防ぐもんどす。」と、元あった傷んだ雨戸を無くしガラス戸だけになっています。これまで大きな台風は滅多にないことで、どこまで備えるか?でしたけれど、最近のように気候変動が大きく台風や豪雨が増えると、やっぱり雨水が侵入して不安です。



<取材/構成:森珠恵(京町家作事組事務局)>