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京町家作事組
町家再生再訪・その11

「今井邸」

 2008年(平成20年)12月竣工の今井邸で、お母様と三人のお子さんと暮らす今井雅美さんにお話しを伺いました。

―現在の町家にお住まいになられた経緯をおしえてください。
 この家は、曾祖父が明治39年購入した家で、母が生まれ育った家です。今回、改修した時に、作事組の荒木さんから、江戸末期から明治初期に建てられた可能性があると聞きました。曾祖父、祖父、叔父がここで悉皆屋をしていました。私は小さい頃から遊びに来ていましたし、学生時代には2階に住んでいました。結婚してからもよく家族と泊りがけで来ていました。叔父が亡くなり、一人で家を守っていた叔母が亡くなり、2006年に譲り受けました。昔から、ぼんやりと自分がいずれこの家に住むことになるのかなと感じてはいました。

―2008年の改修工事はいかがでしたか
 町家というものをよく知らなかったため、自分でもいろいろ調べ、担当の荒木さんにも質問して、この家を理解していきました。その中で、我が家は文化財になるような高級な町家ではなく「中くらいの家」と捉えることが出来ました。木材や畳なども「中くらいの家」にあうようなものを選んでもらい、基本的には、歪みを直し、壁など見えないところに費用をきちんとかけることになりました。いろんな提案をしてもらい、何度も設計図や見積もりを書き換えてもらいました。周囲の家は建て替えられ、道路は何度も舗装されましたが、我が家は百数十年建ったままでした。そのため、敷地自体が周囲より低くなったので、地盤を30pほど高くしました。その分、上がり框が低くなり、上がり下りがしやすくなりました。床下が狭くなりましたが、風通しもまったく問題ありません。

 構造面では、キッチンと座敷の間の通し柱が昔の改修で切られていたので、荒木さんがうまく胴差しを入れて下さり、柱を継ぎ足して2階の床と壁と屋根を支えています。ダイドコと通り庭のあいだの建具を取り払って、ひと続きのリビングルームとしています。それ以外はほとんどそのままです。介護が必要になっても暮らしやすいようにトイレと浴室を広くし、床全体をバリアフリーにしました。

 火袋は、上の壁まで漆喰を全部塗り替えて貰いましたが、中蔵の福井さんがとても丁寧な仕事をしてくださいました。写真の薪ストーブの設置場所には井戸引きがあり、設計段階で井戸引きを漆喰で塗り込める案がありました。私は井戸引きが見えなくなることを残念に思いましたので、調べて遮熱板を間に置くことで解決しました。井戸引きは今もその存在を誇示しています。また、中藏さんは漆喰壁が熱くなるのを心配していましたが、周辺の漆喰壁は少し熱くなりはしますが、10年経ってもほとんど変わりなく、きれいなままで問題なく保たれています。

現在の暮らしはいかがでしょうか。
まずは気になる薪ストーブの初期費用とランニングコストをおしえてください。

 薪ストーブの初期費用は煙の出ない煙突をつけて130万円程でした。薪は1シーズン2t届けてもらって年間15万円くらい。でもこれ一つで全館暖房になり、二階は暑いくらいです。これは趣味のようなものだから多少費用がかかってもよいと考えています。
 夏などは、火袋の天窓の下はとても暑くなりますが、塗られた火袋の漆喰を眺めて、きれいだなと悦に入っています。ただ掃除が大変です。もともと町家は、商家で女中さんや丁稚さんがいて、家族もたくさんいることで管理が成り立っていたと思います。フルタイムで外で働いている私は、舞良戸の桟の埃も表の格子の汚れを横目で見て、休養を優先しています。掃除、たいへんです。

―町家の継承についてお考えをお聞かせください。
 町家に住むのは贅沢になりつつありますね。人が住んでこその町家と思いますが。 町家は建具で仕切られていて、空間がフレキシブルな反面、プライベートがありませんので、今後息子が結婚してここにお嫁さんと一緒に住むというのは、難しいかもしれません。この家は私の名義だけど、私個人のものではないと子供達には言っています。例えこの家を手放すことになったとしても、100年経っても、残すべき建物として次に継承していける家と思っています。一方で、京都の通りにある町家が壊されるのを見て、一体京都をどうするつもりなのかといつも思っています。ギオンコーナーに行かないと町家が見られないような京都になったら、京都ではなくなると思いますが。

  (取材後記)
 ストーブの前で今井さんの愛猫がしばらくじっとこちらを見つめていました。1年前に動物愛護センターで出会ったときは皮膚の病気だったけど、療養食で治ったそうです。
(取材・構成:京町家作事組事務局 森珠恵)