| 『創意と工夫』タテ、ヨコ、ナナメ読み・第5回 近・現代のデマを見直すプロセスで苦闘することが「創意と工夫」 梶山秀一郎(作事組理事長)
40年ともたないとする不幸な予測をする主な理由は、設備の更新である。機器類は15年乃至20年で更新時期を迎えるが、それは一時休止や夜間工事で何とかかわしたとしても、30年前後で訪れる設備配管の更新時期が山場となる。あらかじめ配管更新を見込んであって、既存の配管をそのままに、壁や天井を壊さずに新設配管ができるように、既存と同じだけのの配管スペースが確保されていれば別であるが、おそらくそのような建物は皆無であり、その結末は自明である。これが近代が喧伝した恒久建築の実態であり、100年を超えて生き続けてきた町家と、どちらが転倒しているかは火を見るより明らかである。 しかしそのデマは町家改修にとっても他人事ではない。とっかかりにおける多くの相談者の希望は、“町家で快適に暮らしたい”というもので、それ自体に議論の余地はない。ところがその「快適」がくせ者であり、それは最新の機器と設備を導入した便利で快適な生活を指す。町家への無批判な「快適」の導入は町家に現代建築と同じ運命を与えることになる。 3章1節は総合的な改修の事例である。取り揚げた5軒の事例のうち、専用住宅はわずか1例であり、他は事業用を含むものないしは専用で、そのうち賃貸が2軒ある。前書『町家再生の技と知恵』で取りあげた実例4例が全て住宅で持ち家であったのと比べると、わずか3年の間に利・活用の幅が大きく広がったことが分かる−前書、本書ともそのときのありったけの事例であり、事例選択に恣意性はない−。掲載事例の施主は町家のしくみやあり方についての理解者が多く、おおむね町家のありように沿った改修になっている。しかし難題の一例としてあげると、土間の埋設配管については敷設替えの有効な手立てを打てていない(図1)。いずれにしてもデマに惑わされないように、住み手と作り手のねばり強い対話が不可欠である。そしてさらに利・活用のバリエーションが広がることが望まれる。そのときに押さえておかなければいけないのは流行にとらわれない、実用的な使い途(図2)とかつての家作のような負担能力者に期待できない今、町家を残すための賃貸借や改修費負担のしくみである(図3)。また改修の成果を高めるための手立てとしては、課題を整理して改修のテーマを明確にしておくことが、その解決策(創意と工夫)を絞り込むために有効である。むろん分節化することで町家のもつ包括性を損なうことはあってはならないが。 2節は部分での「創意と工夫」の事例であるが、内容的に分節すると、空間、装置、意匠などの再評価と利用や翻案(別の利用)、町家のしくみに沿った設備、しつらえと表出、異質物の目隠し、本体や室の利・活用、伝統構法の再生と施工参加、となる。とかく改修というと、非創造的なことと観られがちであるうえ、作事組の方針が「できるだけ元の状態に戻す」ということであるため、いっそう退屈な仕事と思われかねない。しかし本来創造とは不易流行で、伝統を土台にして時代の求めるものを打ち出すことである。雪舟、光琳あるいは北斎にしても、「むかしをかんがふ」という意味の稽古を重ねたうえで独創的な仕事をした。根拠をもたない創造は思いつき、独りよがり、もしくは差異にすぎない。ここに揚げたひとつひとつの工夫は、住み手と作り手が町家本来のありようと現実のはざまで、迷いながら決めたひとつの答えであって、正解か否かは別問題である。自動車は町のひろばを蹂躙し、表を開け放てなくし、表の意匠とも相容れないが、必要なのであり、クドは機能上必要ないけど残したかったのである。従ってこれから町家の改修をしようとする、住み手や作り手の方はひとつの答えにすぎない結果を参照するのではなく、その結果に至るプロセスを参考にしていただきたい。そして内容的にも答えにおいてもさらにフィールドが広げられるようにしてほしい。 冒頭に揚げた近・現代のデマは設備にとどまらない。構造も例に漏れず、楽観的な進歩史観や実験で確かめられたこと以外はないものとする、偏狭な近代科学に基づく、固さ(壁)一辺倒の構造基準で町家が壊されるところであった−今はそういう主張は減ったが−。他にもいろいろあるが、この連載でも述べてきているので屋上屋を避けるが、町家という「常識」を取り戻すために、改修を機に、町家はだめだという常識が揺らいでいる状況をてこにしてほしい。 (2006.5.1)
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