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『創意と工夫』タテ、ヨコ、ナナメ読み・第4回

町家がわかるよりわかりあいのプロセスが大事
梶山秀一郎(作事組理事長)


図1 設計打合せ
すでに自明でなくなった町家を、わかり合うための相談・学習期間が大事。設計者だけでなく施工者も参加する。

図2 市民を巻き込んだ施工応援
「ベンガラ、タタキ施工体験会」と銘打って開催した施工応援。子どもは店子になる市民活動グループに所属する子たち。

図3 施主が施工記録をネットで公開
施主が現場に張りつき、職人から教えてもらったことや施工風景をHPで公開し続けた。
 「柳宗悦の民藝と巨匠たち展」が京都府文化博物館で開かれた。手仕事に光をあてて正当な評価を与えた柳や仲間たちの功績に疑問の余地はない。しかるに展覧会のタイトルのように、民藝の趣旨と、仲間たちのほとんどが人間国宝や重要無形文化財保持者、すなわち工芸作家になったという結果との、断絶感と滑稽さはいかんともしがたい。しかし取り返しのつかないことを批判しても仕方ないとすれば、もって他山の石となすべしである。
 先ずは他人ごとではだめだということである。町家再生活動の目的は町家を取り戻すことにある。そのためには町家に関わる住み手、作り手、地域、市民、そして行政が、町家の担い手として甦らなければどうにもならない。いくら町家がわかったとしても、とばっちりを受けない立場、ちょっと言葉は悪いが好事家とかファンがいくら増えても、目的達成の成否とは関係がないし、場合によっては目的達成のための道取りを誤らせる。すなわち自分ごととして町家と向き合わなければいけない。第2章第1節の「基本型としての改修作法と手順」はマニュアルとしてではなく、町家の改修を契機として、関わる者が対話や協働を通して、わかりあいのプロセスを重ねるための、ひとつのモデルを示したものである。わかりあいとはそれぞれが想像力を活かして、主体的に町家と関わり、町家との関係を模索することである。従ってそれが果たされればどんな手順をとってもかまわない。
 次に目的を見失わないことである。目的の町家を取り戻すとは、暮らし、暮らし合い、町並み、そして建築生産に町家が生き返り、生き続けていくということである。しかし町家が全うに生きていない今、第2節の実例で示すように、町家を生かそうとすると、法律、制度、経済、慣習、すなわち町家を取り巻く万般が、困難な壁として立ちはだかる。そのひとつひとつの問題解決に翻弄されるなかで、目的を見失いがちである。それを避ける手立ては問題の解決を手段とし、目的と分別するのではなく、手段すなわち目的と捉えることである。努力して解決できることも、短い事業期間ではとうてい解決できないこともあるが、解決をしようと格闘する過程が、町家を取り戻す階梯であり、この本ではそれを創意・工夫と呼んでいる。
 最後に実用から離れないことである。町家は機能、祈り、ミエ、金儲け、もてなしと拒否など全てに亘って、実用として生きてきた。その経過のなかで、織り屋建てなどの一部の形式を除き、ごく単純な間取り形式の中に、ありとあらゆる職と住の「用」を容れられる普遍性を獲得した。いま求められるメニューは、もとの内容や質とは異なったものとなるであろうが、その現代的「用」で町家を改変してしまうのではなく、町家の普遍性に沿ったやり方で実用を計ることが大切である。実用を離れて町家を文化財として祭り上げたり、流行や形だけで流用することは、瀕死の町家にとどめを刺すことになる。
 第2節で取り上げた事例は、そこで生まれ育ち、巣立ったご子息が、町家の良いところも悪いところも解ったうえで、家に戻って町家の助けを借りて商いを始めるという、恵まれたケースかもしれない。しかし当の町家が歩んだこの40数年は決して幸運な月日ではなかった。過去の改修は戦前のものはともかく'65年以降に繰り返し行われたものは、いえば町家を隠すための改修であった。それでも隠しきれない、ないしは意に沿ったできばえにならないものであった。ご子息の発案が少し遅ければ、なくなっていたかもしれない。
 ご子息は父を説得し、空気のような存在の生家を対象化し、学習会に参加して町家を学び、作事組を動かし、できないかも知れないという困難な場面を何度も乗りこえられた。現場に張りついて職人と対話し、作り手のがんばりと遊び心を引きだし、近所の協力と理解を得て、行政の協力も得ることによって、当初の希望や費用を上まわる目標を達成すると共に、京町家ネットの協力、マスメディアの力も預かり、そして何より、事務所を他所に移した父親をはじめとした家族の協力と、夫婦の協働によって、商いを軌道にのせた。
 
(2006.3.1)
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