| 『創意と工夫』タテ、ヨコ、ナナメ読み・第3回 町家にも良いところがあるから残すのか 梶山秀一郎(作事組理事長)
町家にも良いところがあるから残すのではなく、町家の方が良いから残し、なおかつ作れるようにしようとするのである。 今の住まいと町家を特性の評価項目ごとに比較すると見事に逆さまになる。あたかも町家を参照しながらその反対を目指したかのように見える。しかし実のところは今の住まいを形づくる経過のなかでは、町家などの伝統建築は全くのらち外であった。まずは明治の脱亜入欧政策のなかで、欧州とりわけイギリスのハーフティンバーの無批判な移入である。冷涼で小雨、台風や地震はまれ、樫などの堅木利用、個人(市民)確立の子育てなど、彼我は住まいや暮らしの土台たる風土や文化が全く違った。次に中央集権的法治国家を目指すなかで地域性を考慮しなかったことである。市街地建築物法(建築基準法の前身)や都市計画法の制定は大火頻発、河口の軟弱地盤という東京の特殊事情を前提に定められた−東京の事情で基準が決まることは今も昔も変わらない−。また中央集権は地域自治、地域防災を行政、警察、消防に置き換えた。さらには戦後の持家政策促進のための住宅金融公庫制度が、建築基準法に沿わない構法を閉め出し、アメリカの物質的に豊かな住文化への憧憬が住まいの価値観を変えた。その結果できあがった住まいが鏡に映った町家になった。
時々の選択にはわけがあったにしても、結果がおかしかったら考え直さなければいけない。それも逆さまであれば、現行法・規準との折り合いをつけるというやり方ではなく、根本に立ち返る必要がある。すなわちまずは町家の面目を見極めることであり、面目に沿った直し方を心がけ、さらには適切な作り方を模索することである。
その他の特性の評価と対処も同様である。防災については地震や火事ばかりが取りざたされるが雨や風もあり、総合的に評価することがひとつ。自動火災警報装置や消火器に依存するよりも、愛宕さんの祈符の用心や万が一の備えが先決であることがふたつ。そしてみっつには地域自主防災である。 快適性については町家の快適性と現代の快適性を混同しないこと。締め切って冷暖房で室温を20度以上に保つことは人間にとってよりも、バクテリア、カビ、腐朽菌そしてシロアリに快適環境を提供することである。 構造に始まり以上に述べてきたことと町家の担い手の再生、通風・通気・乾燥の確保、素材・構法の選択も含め、これらは扱いの問題ではなく、日本の風土や文化のなかではそのように、すなわち町家のようになっていないと だめなのである。それらの「技と知恵」を土台として、さらなる改善や改良を加えてこそ作り手の「創意と工夫」である。 (2006.1.1)
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