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京町家作事組
京町家の技術 その六

襖あれこれ

若林荘造(作事組会員、表具師) 

●襖の誕生
 誕生当時の襖は現存しないので、詳細に知る事は出来ないが、8世紀〜9世紀ころ、几帳、衝立、屏風、明り障子などの寝殿造り内部調度品の中から、日本独自のものとして生まれてきたのである。
 当時の寝殿造り内部は間仕切りも無く、冬場は衝立だけでは寒気が防ぎにくかった為にその予防を第一の条件として「襖」が工夫されたことは確かである。
●初期の襖
 種々の文献や現存する当時の屏風より推察すると、当時の襖は現在のように整っておらず、至極簡単な荒梳の骨に絹又は麻を引き渡し、その上に紙を張り、又その上に絹などを張ったものが寝間に立てられ、当時の寝間障子(襖)であった。
●襖の形式
 平安時代を超え13世紀鎌倉時代にいると、絵巻物の隆盛をみた、御物・春日権現験記絵巻(1309年)高階隆兼画の中の襖絵では濃厚な色彩の大和絵に錦の裂地のへり取り、「漆塗縁」や「引き手」がつき、大きく長い絹の房が垂れている、襖骨の姿も現今の骨組に等しいようである。
 この時期をもって襖は一応完成されたと見て良いであろう。
●現 代
 江戸300年鎖国の時代に、我が国独自の発展をみた数奇屋造りにも、明治の文明開化が欧米風を俄かに吹き込んで、一時は古来の襖の存在が危いかに思えたのに、フェノロサの来日で東洋芸術が昂揚され、また明治の芸術家たちも、この欧米風をよく自分なりに消化して日本の芸術として打ち出し、その発表形式を古来の屏風や襖に表現させた。
 平成の今日でも多くの建築家たちは、欧風建築を少しでも日本の風土や個性にマッチさせようといろいろ工夫をしている。
 襖も古来の襖の長所に欧米風を同化させて、新しい時代の住宅に相応し襖の姿を造り出して日本の動くスクリーンとして、その至便な機能が欧米でも認められている。
 今後、次の時代に生きて行く襖のあり方は、その沿革を探ると同時により多く新しい考えをもって日本が誇る襖を守ってほしい。
●腰 張
 和室の壁が砂物で塗りたてられた時は、和紙で壁の腰張を施工することが多い。
 これは壁の「砂落ち」や「箒ずれ」を防止する為であるが、同時にその用紙の優雅な色彩で室の美を一層引き立てることになる。
イ.用紙 濃紙(小判)、書紙類(中小)、似合、物和紙染紙、土佐、湊、その他布地類。
  上記の内着色の和紙類、布地類は格式のある室には多く使用されてない。
ロ.工法 上座を起点に右上手重ねに張巡らす、継手は3分(9o)程度とする。
●茶席腰張
 座体が壁と擦れ合って、衣服をよごし、或いは壁面の損傷を防ぐため、壁すそへ腰張する。
イ.用紙 美濃紙(小判)を主に湊紙色物、ねずみ、黒、コン紙など又反古帳を使用することもある。
ロ.工法 手前座は清浄を表して、主に美濃紙小判を1枚腰に張る、また狭い室ほど腰丈を高くする。
 客座は高く美濃判1枚半位張る、用紙は色物(ねずみ)、土佐の色物。手前座は白紙を用いて低く、客座は高目にする。
 なお、手前座は白紙9寸(270o)を1枚張り、客座はコン紙を2段張りにレンガ張りにする(9寸×2段)。


*1 美濃紙 美濃地方で漉いた手漉き和紙
*2 奉書紙 越前の手漉き和紙
*3 間似合 どろを原料に漉いた紙
*4 色物和紙、染紙 白和紙を色に染めた薄手和紙
*5 紺土佐 紺色に染めた和紙(土佐地方にて生産)
*6 黒湊 越前で漉いている手漉き和紙