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京町家作事組

路地奥長屋の改修


設計:株式会社クカニア/末川協建築設計事務所 / 施工:辻工務店

 旧知の仲である情報センター八清さんの担当者より紹介を受けて、お若いお二人の初めての町家住まいをお手伝いすることになった。依頼者は現在はマンション住まい、お体も不自由で段差など不安もあるが一度は町家に住んでみたい、とのこと。室内のバリアフリー化や寒さ対策などもご希望だった。

 数ヶ月前に八清さんが売却されたという町家は、京阪丹波橋駅にほど近い路地奥の長屋で、西側の妻壁を隣家と共有する二連棟のうちの一軒だった。隣は反転した同形状の間取りで、空き家になっており、持ち主は別にお住まいをお持ちであった。

 表の通路はそれぞれが私道負担して路地内の十軒ほどで使っており、周辺の状況から見て、おそらく昔は同様の長屋が軒を連ねていたようである。ただ現在は面影も少なく、棟続きと反対側の東隣も比較的新しく見受けられる二階建ての住宅だった。敷地奥の南東角には、四軒で共有していたらしい井戸が残されていたが、現在は誰も使っておらず、手つかずの状態だった。

 間口は二間と小間中、奥行は三間半、一列三室だがハシリニワの間口も狭く座敷には押入もない、小ぶりな造りであった。建物の閉鎖登記簿には昭和六年の表記があるとのことで、階高・軒高共に高く、軸組みには薄土台・胴差が見られ、大正後期から昭和初期の築造と推察された。間取りは大きくは改変されていなかったが、外部や一階内部の壁には合板が張られ、躯体が現れている部分は少なかった。奥にはトイレ棟とユニットバスが置かれており、ハシリニワのキッチンは撤去されていた。

 調査に入った印象では手を入れずに放置されていた様子で、屋根が傷み切っていた。特にハシリニワ奥の南東角付近が最もひどく、軒先もなくなり防水シートで応急処置がしてあるのみ。雨仕舞の影響から桁も欠損しており、付近の土壁も荒壁から落ちてしまっていた。全体的に沈みも大きくレベルも不均一で、前述の南東角の通し柱は抜き替え、一から荒壁を編み直した。連棟の西隣との界壁についても、解体後、床下や小屋裏は壁がないことが判明し、荒壁を追加した。構造改修や屋根の葺き替えなど急務の課題もあり、限られた予算の中で優先順位を絞っての工事になったが、施主さま自らインターネットで設備機器を購入したり、壁塗りや塗装をしたりと、予算配分に対してご理解とご協力をいただけた。またそれに応えて施工の辻工務店さんも、工事費の圧縮や施主施工のフォローなど全力を尽くして臨み、協働体制で工事を進めることができた。
 
 ご要望だったバリアフリーについては、室内の段差をなくし、一階で全ての生活ができるよう計画した。スイッチなども利用しやすい高さを採用し、設備や手摺の位置などは現場で実際の動きを確認して決定した。設備導入なども検討していた寒さ対策については、町家の特性や予算面を考慮して間仕切りや住まい方によって解決することになった。

 比較的スムーズに進めることができた工事とは逆に、最大の難関は工事開始直前に起こった境界問題だった。連棟だった名残で設定されている東隣との境界線は、現存する柱の中心線であり、現在は本長屋が壁半分を越境しているような状態であった。本来であれば、建て替えでもなく、以前と同様に躯体を維持する改修工事にあっては、「従前のままで致し方なし」という判断が通例であるように思うが、お隣とのやりとりにおいて壁半分の越境を控えるように要求されたのが、着工の直前。作事組内や八清さんも含めて対応を協議したが、お隣とはお話ができず、判例なども検討の上、延期していた工事を開始した。当初は先行きの見えない状態だったが、折り合いがつかず真っ向から争う姿勢だったお隣さんも、周りからの進言もあったようで徐々に態度を軟化、工事半ばを過ぎた頃には容認すると言っていただけた。先方とのやり取りには売買に関わった八清さんが協力、専門家としての進言もいただき、心強い限りだった。

 施主さまはもちろんのこと、各職を含む施工者・不動産業者など関わる専門家たちが一丸となって工事を達成できた現場だった。竣工から半年たった今、工事を改めて振り返ったこの寄稿は、周りの方々の協力を再認識する良い機会となった。



南 麻衣子(京町家作事組)

2017.9.1